老化とはこういうことなのか。このごろ自分の身体の変化に心が追いついていかない。なかなか得心がいかないで、つい鬱々(うつうつ)としてしまうのだ。この鬱々こそが老化現象を象徴しているように思う。
耳が壊れて自分の声さえよく聞こえない。周りに他の音があると、自分が正しく発声しているか不安になる。話かけた相手にきちんと言葉が届いているかと、心配してしまうほどだ。妻に聞くと「ちゃんと届いているよ。いつもの声だよ」と言ってくれるが、自分の声がボワボワとくぐもっていて水中で話しているようなのだ。補聴器を着けていてもそうなってしまった。
難聴は今も進行していて、1年後は家族との会話も難しくなるかもしれない。そこで4月から手話教室に通い始めたのだが、今度は別の困難が現れて手話も断念しなくてはならないかもしれない。
両手の肘から先、手指の関節や筋肉に痛みが出て、指を使う手作業が辛くなってきたのだ。神経痛というのか、腕と手指のそこここにいきなり痛みが出る。思いがけないときに急に痛み出すので始末が悪い。鍬や一輪車の柄などを強く握ることには今のところ支障はないが、繊細な手作業は痛みが邪魔してうまくできなくなった。痛みは四六時中あって、車の運転も少々不安になってきた。
繊細な指使いを求められる手話は、こんな状況では困難である。
3年ほど前にもこの痛みがあって、整形外科に診てもらったことがある。医師曰く「手の使い過ぎです」とのことで、痛み止めを処方されただけだった。電気治療に「週3回くらい通えますか」と言われたが、医師の顔つきから治療効果はさほど期待できない様子がありあり。この痛みはあきらめて、渋々付き合っていくしかなさそうだ。「手の使い過ぎ」なんて言われて納得できるものではない。手を使わないで農など不可能だ。
難聴とリンクしているのか、数年前から妙な「ふらつき」を時折感じることがあった。1年ほど前からそのふらつき頻度が増してきたので、耳鼻科から「眩暈(めまい)」を抑える薬を処方してもらっている。日に3度、食後に薬を飲む習慣ができてしまった。先々週、月一の耳鼻科診療を忘れて薬を切らしてしまったら、途端にひどい眩暈で一日寝込んでしまった。グラグラと吐き気で寝室に籠ったのだが、時期がきたタマネギの収穫を逸してしまって、そっちの気がかりもあって鬱々が増してしまった。
頼まれ仕事もまだ少し引き受けているが、この状況ではいずれ新たな依頼は断ることにせざるを得ない。身体の変化に見合った暮らし方を模索しようと思う。ただ、農作業と、キーボードを打つくらいは続けないと・・・