米の価格 高すぎるとは思えない
新聞の投書欄に、農家から次のような訴えがあった。
「米の値段が高すぎて買えない。そんな声を聞くたび何か嫌な気持ちになる。消費者がそんなふうに思うのは、米なんか安いものだという思い込みがあるのではないか。米が安すぎる値段で売られていた状況しか知らない若い人たちにとっては、特にそんな思いがあるのかもしれない。
地元の郷土誌に、1951(昭和26)年9月に母屋の屋根替えをした人の記録があり、職人さんの手間賃が約400円、米価は60キロで2812円だったという。この時の日当を米に換算すると約8.5キロとなる。高いといわれる今の米価の方がまだ安い。―― 今の日当は相場で約17000円。 当時の米価を今に換算すると60㎏12万円相当になる。 5㎏10000円。 今の2.3倍だった (筆者計算)――
80年代ごろ、減反政策下での生産者米価交渉や、農産品の輸入自由化をめぐり、米農家の苦境を訴える報道も多かった。当時はマスメディアにも農家の子が多くいたのか、国際競争力うんぬんを説く昨今と違って、農家に対する記事に思いやりが感じられた。
米の価格は数十年も抑えられ、さらにここ近年はひどい値下がりで、汗だくで働いたにもかかわらず、労務費をゼロにしても赤字となっていた。経済原理で退場を余儀なくされた農家の怨嗟を、消費者は少しでも考えたことがあるだろうか」
この声を、日本国民は心して受け止めてほしいと思う。
農家がどんどん撤退して農村が衰弱していく現状の先には、すべての国民の「食といのちの危機に直結(菅野芳秀氏)」する事態が予想されるのだ。「いよいよ農業の世界は切羽詰まってきた(同上)」と危機感を抱く人が増えているのはごく当然なのだ。
農家と消費者を対立させてはならない。ともに未来を見すえて、より良い社会をつくるためにも、農と食の安定的なあり方をしっかり議論する必要がある。基盤となるのは農と食をしっかり支える農政のあり方だ。農を支える所得補償があれば、消費者にもやさしい適正な価格を保障できる。
来春また「百姓一揆」が計画されるという。必要だからだ。私もまたためらうことなく参加する。