2023-01-01から1年間の記事一覧

小さな農と未来のことと …… 年の瀬に(第99話)

このブログを6月に始めてから7カ月が過ぎた。まもなく古希の老農民が、「怒りと希望」という相反する情動を動機として書き綴ってきた。 文字にすることで、70年生きた私にどの程度の蓄積ができたか、を自分の指と目で確かめる狙いもあった。これまでの結果と…

この国のかたち(11) 危機が深化した年

2023年は憂うべき事柄の、異常に多い年となった。振り返ることが苦痛にも思えるが、きちんと記憶に残さないといけない。 ▶健康保険証が「2024年末に廃止」される。国民生活の混乱は増すばかり。マイナ保険証の11月の利用率はわずか4.33%。全国保険医団体連…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その五「焚き物」のつづき)

ボヤ (柴) のほかに、太い丸太も橇で運び、早春の雪の上で鉞 (まさかり) で割って “にお” に積んだ。鉞の使い方も高学年になったころに自得したように思う。薪やボヤの “にお” の積み方も見て覚えた。両端2本ずつの柱木間に針金を渡してこの上に薪を積むと、…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その五「焚き物」)

焚き物 (たきもの) などという言葉は、今や死語だろうか。地炉 (囲炉裏) で暖をとり鍋をかけ、竈 (かまど) で煮炊きし、風呂を薪で沸かしていたのは、そんなに遠い昔ではない。私の子ども時代は、田舎ではごく普通のくらし方だった。焚き物は、その時代まで…

環境問題と農業(4) 二季化への対応(その二)

農業における気候変動の緩和策については、このブログでその技術改変あるいは経営のあり方を縷々述べてきた。低投入持続的農業すなわち有機農業への農法転換が必須で、さらには不耕起栽培をベースとする環境再生型農業にコマを進めること。大規模法人経営は…

環境問題と農業(4) 二季化への対応

「今年の夏は暑かった」は毎年のように使われてきたフレーズだが、2023年は表現を変えなければならない。「今年の春、夏、秋は異常に熱かった」 今年の平均気温は、春、夏、秋と3季連続で統計開始以来の最高記録となり、平年を1.34℃も上回った (11月末時点)…

有機農家を育てる(9) エッセンシャル・ワーク(その二)

2013年から7年間、私は島根県に有機農業アドバイザーを委嘱され、当初の4年間は毎年4回島根県を訪れた。農業技術センターで行われるワーキング(有機農業に関わる技術研究者と普及担当者の情報交換会)に出席して助言する役と、さらに県内各地を有機担当普及…

有機農家を育てる(9) エッセンシャル・ワーク(その一)

新・農業人フェアというマッチングイベントに行ってきた。農業に関わる求人者と農業の世界で働きたい求職者との「出会いの場」である。求人側は、学生を募集する農学校、スタッフ募集の農業法人、研修者受入れ農家集団や市町村などである。求職者は、農業法…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その四、川の生きもの)

山の動物のことを前述したが、獣肉や熊の胆など、直接的な恵みのことだけをもって “幸” と言ってはつまらない。狐狸妖怪などの民話を生み、人の思惑がやすやすとは及ばない自然の神秘性を知り、敬う心を育む存在。山野がもたらす恵みには文化的な要素がたく…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その四、山の動物)

山の動物のことを思うとき、いつも少しの動揺を覚える。その理由は分かっている。小さいときに度々聞かされた狐や貉 (むじな) に化かされた話、山犬に追われた話などを思い出すからだ。小さな子どもたちが集まる場で、父はいつもそんな話をして面白がってい…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その三、竹細工)

山野には、くらしに役立つさまざまな資源があり、農山村の人々はそれを使いこなす技 (わざ) をたくさん持っていた。 例えば、私の父は晩年に綴った手記の中でこう言っている。「昔の人は生活 (くらし) の中でワラと竹は生活の必需品。無くては暮せない大事な…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その二)

山菜は、採ってきてすぐ食べられるものは少ない。調理の前にいくつかの調整作業、下処理が必要なのだ。ワラビは大概そのまま鍋に入れられるが、ゼンマイは展開前の葉が被っている “綿” を取り除く必要がある。ババ (女ゼンマイ) とジジ (男ゼンマイ) があり…

小さな農と未来のことと …… 怒りと希望

このブログを綴る、そもそもの動機は、怒りである。 この国のありように、いくつもの怒りを覚えるのだ。 なぜ、戦争準備のためにこれほど莫大な税金を使うのか。戦後78年、なぜ米軍のために大枚をはたいて基地を提供し続けるのか。沖縄の人々の気持ちを逆な…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その一)

農の仕事とくらしは、山林原野とその資源、そのありようと地続きである。山からのさまざまな恩恵なくして農の文化、里のくらしは成り立たなかった。農とくらしにまつわる山の幸について考えてみたいと思う。 子どものころ、親や年長の子らに導かれて、さまざ…

有機農家を育てる(8) 家族農業のすすめ(その二)

家族農業は「労働力の過半を家族労働力でまかなう農林漁業」(国連の定義) のことで2ha未満が85%、小規模農林漁業ともいわれる。わが国の家族農業経営の規模もほぼ同程度。水田稲作専業農家や、北海道の家族経営畑作や酪農などはこれよりやや大きいが。 家族…

この国のかたち(10) 地球人を守る、未来人を守る

▶ ニューヨークの国連本部で開かれていた核兵器禁止条約第2回締約国会議が1日、閉幕した。2021年1月に発効した条約には、93カ国・地域が署名し、うち69カ国・地域が批准している。今回の会議には加盟している59カ国・地域が参加したほか、35カ国がオブザー…

有機農家を育てる(8) 家族農業のすすめ

昭和53年 (1978) 以来45年間、私のライフワークは「農家を育てる」だった。若いころはその自覚が希薄であちこちへと迷い、不見識がゆえの徒労もあったが、不惑の少し前あたりから目的意識は固まったように思う。 この間、私の身近で農を学びに足を運ぶ人々は…

有機農業とその技術(5) 技術展開(接ぎ木、その二)

“接ぎ木” は、元は建築用語だった。柱や梁を繋ぎ合わせる部分を接ぎ木といった。果樹栽培で土壌病害に強い同種または同属の台木に接ぐ技術が生まれ、その後は野菜や花木、サボテンなどに応用されるようになって、今に至っている。 接ぎ木のもっとも顕著な貢…

有機農業とその技術(5) 技術展開(接ぎ木、その一)

私は若いころ、果菜類の接ぎ木を研究課題にしていた。師匠の丸川慎三先生がウリ類の接ぎ木に使う台木カボチャの研究者だった。キュウリやトマトなど施設栽培で生じる土壌伝染性病害(連作障害)の対策として、当時は殺菌殺虫剤(毒ガス)の土壌処理か抵抗性…

有機農業とその技術(4) 技術の自給(その四、育苗)

近年、育苗と栽培の分業化が進んで、自家で苗を育てずに購入する農家が増えてしまった。育苗の手間を省こうというのだろうが、結果的に苗づくりの技術が農家の手から奪われつつある。苗を買うのは主にトマトやナスなど果菜類。水稲苗を農協に委ねてしまう例…

この国のかたち(9) クリティカルシンキング(批判的思考)

今日11月26日の朝日新聞の「声 (Voice)」、18歳高校生の『議論重ね自分の意見持つ教育を』に注目した。若い人の論理的で説得力のある意見表明に明るい希望を見た思いがした。 「両親は日本人とアイルランド人です。日本の高校に留学し、教育の質は高く、特に…

有機農業とその技術(4) 技術の自給(その三、採種)

近年、野菜などの種子を買うと、袋裏面の種子 “生産地” 欄にアメリカ、オーストラリア、インド、韓国などと表示されている。私が今年買った種子のうちキャベツだけ香川県というのがあって少しホッとしたが、市販される野菜種子のほとんどが外国産になってし…

この国のかたち(8) もうかる農業?(その二)

もうかるとか、もうからないとか、その境界線や基準はどこにあるのだろう。こういう言葉使いをする人たちは、その基準をきちんと意識しているのか。自覚があるのかどうか疑わしい。 昔にも、儲け話が好きな農民はいたようだ。田畑をかたに投資して一獲千金を…

有機農業とその技術(4) 技術の自給(その二)

今回の話題は有機農業のことではないが、その思想に通ずるものがあるので取り上げてみたい。新聞「農民」(11/13) に「マイペース酪農が日韓環境省を受賞」の記事があった。日韓国際環境賞は、毎日新聞と朝鮮日報社主催の賞。 うかつながら、マイペース酪農と…

有機農業とその技術(4) 技術の自給(その一)

技術を金で買う、技術を第三者に委ね管理されている、現代農業の重大な欠陥がそこにあるのではないか。私がずっと抱いてきた懸念である。 農業がもうからない商売であることは世界共通である。国や地域の経済発展レベルとは無関係で、資本主義経済においては…

この国のかたち(7) 自治の危機

辺野古新基地をめぐって国の専横が極まっているが、これは “自治” を破壊する行為である。本来、国と地方自治体は対等の関係にあるのだが、こと日米安保に関わる問題で国は一切妥協しようとしない。沖縄の民意を全く顧みずに推し進められる南西諸島の軍事基…

農と暮らしの技(3) 家畜のいるくらし(その四)

前職の鯉淵学園にはかつて、敷地内に20棟ほどの職員宿舎があった。満蒙開拓青少年義勇軍幹部訓練所の職員宿舎として、昭和13年 (1938) 築18坪平屋建て。私は教職員時代の1977年から1998年まで、当初は一人で、5年目から18年間は家族とともにこの老朽宿舎に住…

農と暮らしの技(3) 家畜のいるくらし(その三)

昭和37年 (1962) に葉タバコ栽培を始めたが、それまでは養蚕をしていた。私は8歳だった。蚕 (かいこ) だけは、私は好きになれなかった。茶の間にも蚕棚を置くことがあって、桑葉を食むシャワシャワという音が今も耳に残っている。自分の食事と重なるときは特…

農と暮らしの技(3) 家畜のいるくらし(その二)

昭和30~40年代(1955~1970)、生家にはいつも家畜がいた。私が物心つき始めたころには黒毛の牝牛と鶏が20羽くらいいたし、雌山羊あるいは雌豚も飼っていた。一時期はつがいの兎がいて、池にはいつも鯉がいた。 それぞれの家畜飼育の時期は今となっては記憶が…

ガザ ――人間性の危機、今すぐ停戦を

ガザの死者が10,000人を超え、うち子どもが4,100人以上 (11/7) イスラエルは大虐殺をやめて、今すぐに停戦せよ。 「パレスチナ自治区ガザの悪夢は人道的危機を超える人間性の危機だ」「子どもの墓場と化しつつある」国連事務総長グテレス氏の言葉が、この事…