小さな農と未来のことと …… 怒りと希望

 このブログを綴る、そもそもの動機は、怒りである。

 この国のありように、いくつもの怒りを覚えるのだ。

 なぜ、戦争準備のためにこれほど莫大な税金を使うのか。戦後78年、なぜ米軍のために大枚をはたいて基地を提供し続けるのか。沖縄の人々の気持ちを逆なでする政府、米国にへつらい続ける政府への怒りである。

 コロナ禍をへて国民のくらしは疲弊し困窮家庭は増えるばかり。貧困家庭にくらす子どもが11%もいて、低所得の若者が結婚をためらうというこの国。軍事費を倍化させる一方で社会保障費削減、インボイスという消費税増税。大企業が儲けを溜めこむ「内部留保」が500兆円を超えたというが、自動車の電化促進の名目で世界一儲けの大きいトヨタ自動車に、経産省は1200億円の補助金を出すという。大企業、富裕層を優遇して庶民、零細業者のくらしを顧みない政府への怒り。

 そして、未来人のための食料供給を軽視し続けてきた、この国の農政への怒りだ。戦後ずっと居座る政権がアメリカと財界への思惑を優先してこの国の農林水産業を売り渡し、農村振興を放棄し衰退を傍観する態度をずっと続けてきたことへの怒りである。70年前1400万人いた農民が、2023年116万人と1割以下に激減し、さらに20年後は30万人になるという。なぜ農民が農業から撤退するのか、農業を諦めざるを得ないのか。

 1980年の農業予算は3.6兆円 (予算全体の8.4%)、2022年は2.3兆円 (同2.1%)。42年間で四半分に減らされた。戦後ずっと政府の国内農林水産業軽視の姿勢が変わらないことを思い知らされ、「あきらめ」が農村を支配してしまった結果である。その先は、いずれ国民全体の飢えにつながるであろう。

 未来人への無責任に、私は腹の底から怒りを覚えるのだ。

 だが、希望を捨てるわけにはいかない。

 そんな国に住む若者たちの中に、これほど厳しい農の世界に飛び込もうとする者たちがいる。けっして多くはない。まだまだ少なすぎて足りるにはほど遠いが、未来人の食を支えようとする勇気ある若者たちを称えたい。

 この国の未来を少しでも明るいものにしようと、彼らのやり方で奮闘する姿に希望がある。若者たちの向かう先に希望を見ようと思う。彼らを支える仕事を続けることに希望を膨らませようと思う。

 

 今日、12月8日は日米開戦から82年。日本が仕掛けた戦争だった。

 戦争しないと誓った憲法9条が生まれたのは、この日があったからだ。