小さな農と未来のことと …… 年の瀬に(第99話)

 このブログを6月に始めてから7カ月が過ぎた。まもなく古希の老農民が、「怒りと希望」という相反する情動を動機として書き綴ってきた。

 文字にすることで、70年生きた私にどの程度の蓄積ができたか、を自分の指と目で確かめる狙いもあった。これまでの結果としては、結局一凡人のままであったことを自覚したに過ぎないし、使える語彙も貧弱で情けない。だがそれでも、自分の内面と経験 “知” をそこそこ視覚化できたことがとりあえずの成果であるようだ。

 この公開日記のテーマは、大くくりでは農業問題であるが、中身を区分すると次の4つになる。

▶これまでの農業 (農林業) のあり方が地球環境を大きく傷つけ損なってきたこと。このままでは未来人のくらしが危ない。反省の上に立って、未来人のために、傷つけた地球環境を修復できる農林業のやり方に大転換しなければならないこと。その方法とは。

▶日本の農林業の衰退が際立ち、近い将来において「飢餓の国」になりかねないこと。このままでは世界から見放される。私の認識では「農民」の激減が最大の問題であり、農民育成の大課題にどう対処すべきか。その方法とは。

▶これまでの農林業大変貌の経過を詳細に辿れば、上記2点の問題の原点が確認できる。わずか60~70年の農の変遷である。どこをめざせば正解になるかのヒントを見つけたい。60年以前の農村がどのようだったかを思い出せば、ヒントの一端が見えるかもしれない。遡って探してみよう。

▶「この国のかたち」として、俯瞰的に私たちが住むこの国のありようを確認すること。大枠を知らずには農業問題の背景が見えてこない。国の政治が大本の所で変わらないと、農のあり方も変えようがないのだ。クリティカル・シンキング (批判的思考) で国の全体像を見つめる視点。

 

 年を越して、このブログを当分は続けるつもりである。

 農業問題については、いずれ、どのような方向をめざせばいいのか、私の考えをまとめてみたいと思う。農家にとっても農産物を求める市民にとっても、すべての国民が豊かになれる道筋を模索する。農の後退を押しとどめ、さらには上向きになれる方途を探ってみたいと思う。長年、農を志す人々と相対してきた経験をもとに、人々が幸福を求める手がかりとして農に向かうのは何故か、なんとなくそれが分かるので、めざすべき方向が見えるのだ。具体的な提案にまでたどり着けるかどうか、挑戦してみる。