この国のかたち(16) 大企業優遇2.3兆円

 私は、農家の立場から、わが国農業の止まるところを知らない衰退と国民の食料自給力の減退に警鐘を鳴らし続けている。その対策として、国の農業予算の4倍増、5倍増が必要だと考える者だ。もっとも重視すべきは新たな農家育成のことで、そのために毎年1兆円の予算を組むべきだと、このブログで主張してきた。では財源はあるか、の疑問には明快に答えられる。

 今日の朝日の1面に「法人税優遇、減収2.3兆円」の大見出しが載った。

▶「特定の企業や個人の税負担を優遇する『租税特別措置』による法人税の減収額が、2022年度は2兆3015億円」で、「『隠れ補助金』とも呼ばれる巨額の減税が続いている」とあった。

▶「法人税では、企業の研究開発費の一部を法人税から差し引く『研究開発減税』の合計額が7636億円で、前年度より17%増、従業員に支払う給与を増やした分の一部を減税する『賃上げ減税』は5150億円で、前年度から倍増した。この二つは『メガ減税』と呼ばれ、法人税の減収額約2兆3千億円の半分強を占める」

▶「企業全体の約0.2%しかない『資本金100億円超』の企業が研究開発減税の約65%、賃上げ減税の約24%を占めている」「トップはトヨタ自動車とみられ、その額は900億円を超える」「トヨタは …… 22年度までの10年間で連結ベースの減税額は累計9千億円を超える」

▶「業界団体との関係が緊密な自民党が、事実上、水面下で税制を決めている状況も不透明感に拍車」「自民党税制調査会幹部が仕切り、決定制度の不透明さ」と、巨額の大企業優遇税制のあり方に疑問を投げかける記事である。

 

 農業予算の拡充に必要な財源は十分にあるじゃないか。世界一儲けの大きい巨大企業に、毎年900億円超の補助金はまったく必要ない。それよりは、国民のいのちに直結する食料安全保障のために農産物の自給率を高めること、農家の激減を止め、新農家100万戸育成にこそ必要な資金を投入すべきだ。

▶ 朝日記事の続きにこうある。「自民党政治資金団体国民政治協会』には、業界団体や大企業から高額の寄付が集まる」

 政治家、政党への企業献金はいわゆる「袖の下」であり、賄賂性を否定できない。大企業の番頭然としてその優遇にはたらき、裏金作りに汲々として企業献金を止められない政権与党がこうした不適切な税制を長年進めてきたのだ。その裏返しで日本の農の衰退、崩壊が進んだことを肝に銘じなければならない。

 この不条理をすぐに止めないと、日本は滅びに向かうしかない。

徒然に(13) 新たな出会い

 耳の故障が進み、人との会話がますます困難になってきたので、別のコミュニケーション方法が必要になった。内耳のセンサー崩壊が進めば、補聴器という補助手段には限界があると分かった。音声をスマホの画面に文字で表示するアプリも試したが、スマホ画面ばかり見ていると話し相手の顔を見られない。これでは気持ちを込めた会話にならない。正確な音声変換にも限界があってもどかしかった。だから、もうその時が来たんだと思った。

 手話を習おうと、ボランティアグループの手話教室を見学させてもらった。挨拶もそこそこに、いきなり手話ゲームに誘い込まれて右往左往したが、その体験は楽しかった。15人ほどの集まりだったが、みな温かく素敵な人々で、迷うことなく、この会に参加させてもらうことに決めた。週1回、夜2時間ほどの「手話を学ぶ会」に通うことにしたのだ。

 耳に骨伝導式の補聴器を着けた小学生とその家族、聾者の壮年男性二人、ほかは健聴者で私くらいの老齢者は男性一人。やや女性が多くて、リードするのも女性たちだった。講師役は経験豊富なメンバーが交代で務めるらしく、皆でワイワイ意見をぶつけながら陽気に楽しく学ぶ集まりだった。これはいい。肩ひじ張らずに参加できそうだ。会の冒頭で「聾者のスポーツ大会が近々あって手伝い参加者を求めている」と紹介された。手話を学ぶ目的の一つが、社会貢献なのだ。

 この世に障害者は多い。障害のあり方も様々で、見てすぐ分かる障害ばかりではない。難聴者や聾者は一見では他者には分からない。精神障害者、心の病、難病を抱えた人など、健常者にとっては普段意識の外にある人たちのことを忘れたくない。少数者、社会的弱者の存在を身近に思えるようになったのは、難聴という身体の異変のおかげである。

 若いときから腰痛で苦労している。畑仕事が混む時期は腰サポーターを使うことがある。50代くらいから膝の不調があり、60代以降は両ひざにサポーターが欠かせない。そこに難聴が加わり、人との会話に不便をかこつことになった。人に会うことをためらうようになり、長話を避けたくなる。ちょっと寂しいのは、好きなテレビ映画を楽しめなくなったこと。字幕付きならセリフを理解できるが、物語に没頭できない。聞きたい講演会も足が遠のく。

 でも、落胆してはいない。嘆く必要もない。新しい世界を見つければいいのだ。新たなコミュニケーション・ツールを身に付けて、新たな出会いを求めよう。今までとは違う世界にチャレンジし、楽しみ、新たな彩りを見つけたい。

 人生100年だという。まだもう少し、いやまだ結構長い時間がある。

この国のかたち(15) 国民の食料をどうするのだ(その二)

 食料・農業・農村基本法改定案の審議について、国会審議が続いている。朝日と赤旗で、その取り上げ方を比べてみようと、4月1、2、3、4、5と5日間の記事を確認してみた。朝日はこの間、1行も記事にしていない。対して赤旗は1日、3日、4日、5日とほぼ連日取り上げている。

 赤旗は、1日「重大法案目白押し」として、経済秘密保護法案、子ども・子育て支援法案、離婚後共同親権入管難民法案と並べて「農業基本法案」の課題を紹介している。3日は「自給率向上明記せよ」、4日は「農業は公益的使命担う」、5日は「自給率向上へ支援こそ」の見出しで、農家減少に対して改定案は無策であること、自給率向上の課題が後退していることをきちんと指摘している。

赤旗5日の記事では、別枠で衆院農林水産委員会参考人、鈴木宣弘東大特任教授の意見陳述要旨を載せている。要点を、列記してみよう。

・(農家の)平均年齢68.4歳とあと10年で日本の農業農村が崩壊しかねない

・お金を出せば、いつでも(食料を)輸入できる時代は終わりを告げた

・改定案は、食料安全保障確保の必要性を掲げているが、自給率向上の必要性と、そのための政策が書かれていない

・輸入先との関係強化や海外での農業生産を増やしても、不測の事態に物流が止まれば日本に入ってこない。一番必要なのは国内生産の強化である

・平時に輸入に頼り、国内生産を支えないでおいて有事だけ作れと言われても無理。普段から自給率を高めて置けば済む話

・(改定案では)定年帰農や半農半Xなど多様な農業経営形態が、農村コミュニティや生産を維持するために重要な存在であることが反映されていない

・水田を水田として維持することが、有事の食料安全保障の要であり、地域コミュニティ、伝統文化も維持される。日本の水田をフル活用すれば1200万トン作る潜在能力がある(2023年生産量662万トン)。米を増産し国の責任で備蓄すれば危機に備えられる

アメリカから武器を買うのに43兆円も使うのなら、まず命を守る食料を国内で生産するのに使うのが先だ

・種子の問題が深刻。野菜の9割は海外でタネ取りしていて、これが止まると自給率8%。種子を国内で循環させ、農家の自家採種の権利を基本法に明記を

・苦しんでいる農家の所得を改善する政策、担い手を支えて自給率を上げるために、直接支払い(補助金)などの充実が一番に追加されるべき

・農家の疲弊は消費者、国民の命の問題。国民の食料と農業農村を守るための抜本的な政策と予算が不可欠だ

▶ もう一人の参考人、東大の安藤光義教授は「農業は作物を生産するという経済活動だけではなく、国土をケアする役割を果たしている。それが少なくなった人数でできるかには、疑問符を付けざるを得ない」と陳述している。

 こうした真っ当な主張、心配を改定案に反映できるかどうか。それは、国会議員の認識一つにかかっている。このまま修正されずに法案が通ってしまったら、10年後、20年後の国民生活がきわめて危ういものになるだろう。各政党の判断を注視しよう。次の選挙で私たち国民の選択が重く問われることになる。

 

 朝日は農業基本法案のことは全く取り上げなかったが、5日紙面に「加速する農機具の自動運転、日本の農業救う?」の記事があった。「コンバインなど農機具の自動運転化に向けた技術開発が加速している。…… 普及すれば高齢化や人手不足に悩む日本の農業の活性化につながるとの期待がある」とある。

 誰が期待しているのだ。「1台税込み約2200万円からで、自動運転機能がないモデルより500万円ほど高い」そうだが、買える農家が存在するのか。米農家の時給10円(2020、2021年)の実態と大きく乖離している企業の活動を、得々として記事にする朝日新聞の農の認識に唖然とする。

有機農家を育てる(10) 女性を主役に

 昨年春、新たな新農家育成組織を旗揚げした。笠間・城里地域有機農業推進協議会(笠城有推協)だ。笠間市城里町で、5年以上の営農経験があって指導力を有する8有機農家で構成している。茨城県認可の研修機関として、研修生は国の制度による助成金を利用できる。

 笠城有推協には、いま2名の研修生がいる。30代の男女各1名で、いずれも既婚者である。それぞれ指導農家のもとで1年半の研修期間を設定し、あと半年あまり後に独立自営農家になろうとしている。二人とも借用できる農地が見つかり、今秋の就農を期して営農計画を作る段階になった。いずれも指導農家に倣って多品目野菜の生産農家をめざす。

指導農家と研修生:女性研修生は35年超のベテラン有機農家のもとで。男性研修生の指導農家のもとには週一や週二の研修者も集う。

 これまで、一般的には新規就農者の主体は大半が男性だった。衆目のイメージするところもほとんどは男性で、夫婦で就農する場合も顔になるのは多くが男性だった。役所の相談窓口でも、夫婦の相談者に担当者が語りかける相手は主に夫だったし、受け答えも多くは夫が務めているのではないか。

 そうした固定観念や慣習は、もうよした方がいい。いわゆるジェンダー平等を農の世界にも反映すべき時だ。あるいは、もっと農の神髄に近づこうとするならば、女性が主役でもいいのではないかと思う。

 研修生の女性は、勤めを持つ夫とともに3人の男児を養育する母親である。学校や保育所の送り迎えなど、家事に育児にと忙しく奔走しながら研修に通う。その逞しさには感心するばかりだ。彼女の夢は、子ども連れでたくさんの家族が交流できる農園を作ることだそうだ。畑で語り合い、一緒に汗を流す団らんの場を作りたいのだ、という。もちろん稼ぎたい、農で生計をたてなければならない。だが、金を稼ぐだけの目的ではさみしいじゃないか、と本人は言う。

 私は以前から、農の主役は女性の方がいいのでは、と思うことが多かった。とかく男性が農を語るとき、経済の話になることが多い。大上段に構えた農論議も必要ではあるが、農の結果としての農産物のありかた、その消費場面をイメージできる話は男性間ではとても少ない。男性はあまり食品の買い物に行かないし、台所に立つことも少ない。乳幼児や学童の食べものなど、細かな気配りを必要とする食のことは、ほとんど女性が務めてきた。だから、農産食品の生産は女性が主体で担った方が健全になるに違いない。

 身近な農の世界に、少しずつ女性単身農家が増えてきた。夫婦で取り組む場合でも妻がリードする事例が、私の周辺にはいくつもある。歓迎すべき状況だ。「いわゆる主婦」が新規に農家になることが特別視されたりしない、そんな農村であっていい。女性の就農者を増やそうではないか。

 古来、女性は太陽だった。農産物は太陽の恵みなのだ。

徒然に(12) 春の野菜考

 また春の端境期がやってきた。4月から5月半ばくらいまで、穫れる野菜の種類が激減する。ところが、スーパーマーケットには種類豊富な野菜が所狭しと並んでいる。これは北から南からさまざまな野菜が届き、温室育ちのナスやキュウリ、トマトなども流通しているからだ。今や「旬は?」などと問いかけてもナンセンスか。「JA」の農産物直売所でさえ、お客に忖度して南や北の野菜を仕入れて並べている。自分で栽培しないと野菜の季節はきっと分からない。

 わが家の台所も種類が少なくなってきた。畑から直送できるのは、もうすぐ終いになるニンジンと一本ネギ、甘くておいしい薹立ち(とうだち)菜「カキ菜」だけになった。保存してあったタマネギも台所にある数個のみで、芽が伸びてフニャフニャ。秋ジャガもあと数個で終わり。貯蔵庫にサツマイモとサトイモ、カボチャが少し残っているので、これは4月末くらいまでは食べられる。冬の間中穫れ続けたキャベツ、ブロッコリー、ダイコンが先週で無くなってしまったのが寂しい。

坊主知らず(不知坊主)ネギ:毎年1本が8本に増えるネギで株分けして繁殖させる。坊主(花径)が立ち上がらないので、4~5月に食べられる。

 私が思うに、もっとも美味しい野菜は春の薹立ち菜(菜花)ではなかろうか。特に美味いと思うのはハクサイ菜花とコマツナ菜花だ。甘味と旨味がその花径に凝縮している。これは、体中に蓄えた栄養を花に、そして種子に送り込もうとしている菜類の必死の営みなのだ。それを横取りしている人間の業を思い出させるのが春なのかもしれない。

 この野菜不足の期間は、同時に山菜に恵まれる時季でもある。その苦みや酸味、強い風味は豊富な抗酸化物質の味わいである。子どものころは、なぜこんな苦いものを大人は食べたがるのだろうと不思議だったが、歳経て大人の身体が欲求するからだと分かった。冬の間の栄養不足で錆びついた身体が、若返りを求めてビタミンと抗酸化物質を欲しがったのだ。

 だがそれは昔の話、今は年中新鮮な野菜やくだものを食べているから、春の山菜を身体が求めるようなことは、昔ほどではなさそうだ。季節の風物として食卓に載せることはあっても、健康な人にとっては、それは脳と目が欲しがるだけだろう。旬の野菜の美味しさも、季節と無関係に食べている現代人には、実はそれほど切実な味わいではないのかもしれない。

 先月から苗床を満たしつつある夏野菜の苗の世話で忙しい。鉢の水加減、温度の調節に日に何度も苗床を覗くが、苗は人の足音(振動)にも反応するという。疎かにできない。もうじきトマトを植えられそうだ。

 この時季、私の身体は別な悲鳴を上げる。若い時分に傷めた腰がきつく疼くのだ。腰痛症は決まってこの季節に酷くなる。冬野菜の片付けと春夏野菜の準備に気が急くが、「どうだ、今日の具合は?」と身体と相談しながらになる。この腰とはもう40年以上の付き合いだが、動かし方の頃合いは今も難しい。

徒然に(11) 聞く、教わる

 子どものころ、親に教わったことは多かったが、覚えていることは限られる。父親はやさしい人だったが時に厳しく訓戒を垂れることもあった。こちらが不始末したとか、不誠実だったときだから親として当然の説諭だったと、子どもにも納得できた。その訓戒の中で諺(ことわざ)とか格言の類をあえて教えようとすることがあった。

 今日の朝日「声(Voice)」に12歳小学生の「中学でも『聞かぬは一生の恥』で」があった。「私が大切にしたい言葉は、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』です。……自分をもっと成長させるには、この言葉がぴったりだと思うようになりました。この言葉を心にとどめて、中学校でも頑張っていきたいです」とある。この子の言葉で今日の私は満たされる思いになった。「聞かぬは一生の恥」は、父親が教えてくれた私の金言だったからだ。

 私は幼少時、とても人見知りだった。人にものを聞くなどという行為は、なかなかできない子だったから、それを心配した親の配慮もあったかもしれない。学校の担任先生も気にかけてくれていたように思う。クラス委員や児童会の役員、村の子供会などの役を与えられるにつれて、少しずつ積極性を身に付けていったように振り返るが、高校進学しても引っ込み思案はあまり変わらなかった。

 高校進学前に虫歯の治療を始めたが、越境入学した長野市でも続けて歯医者に行く必要があった。15歳、親元を離れて一人下宿生活する心細さの中、意を決して歯医者に出かけた。初日診療を終えた後に医者に今後の治療がどうなるか言葉を絞り出して質問したのだが、医者は私の目を見ようともせず「次は○○日」くらいしか言わず、私の聞くことに何も答えなかった。その時の恥ずかしさというか、悔しさというか、言葉にならない経験だったと、50年以上を経た今も忘れることができない。

 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」これは私の大事な信条であるが、聞かれる側も心しておくべき格言ではないかと思うのだ。特に子どもに相対するときの大人の態度として、重く自覚すべきである。人見知りの子ども、内気な人が意を決して他人にものを尋ねる時の、その胸の内を推し量れる人でありたい。これも私の大事な信条である。

 15歳の春の挫折によって、その後何年も歯医者には足を向けなかった。歯医者を信頼できなくなったからだが、そのせいでたくさんの歯を失った。今になって悔やんでも遅いし、あの時の歯医者を恨んでも詮無いことだ。「人のふり見て我がふり直せ」がいい。

この国のかたち(15) 国民の食料をどうするのだ

 今日の記述は少々長くなる。私の危機感の表れだ。

 食料・農業・農村基本法の改定案が3月26日、衆議院で審議入りした。この改定案は、わが国の未来を危うくしかねない危険な内容である。この法案どおりなら、国産食料の確保を完全に放棄するに等しい。座視してはいられない。

 26,27日の日刊紙赤旗が、日本共産党の紙智子、田村貴昭両議員の核心を突く質問と岸田首相の無責任な答弁を詳しく報じている。以下は赤旗記事から抜粋して要点を整理してみたい。

▶ 26日紙面、「紙氏は、日本の食料自給率が38%で、この20年間で専業農家が約100万人、耕地面積が約50万ヘクタール減少したと指摘。農林水産省が2040年の専業農家は30万人になると推定し、三菱総研は50年の米の生産量は最悪291万トンに半減すると推定しているとし、『日本でも食料危機が現実味を帯びている』と迫りました。岸田文雄首相は『弱体化は危惧されているので、農地の集積などにより生産性の向上を図る』などと答え」たとある。

 「紙氏は、日本農業法人協会会長の『若い人が何で定着しないかといえば、農業で食えなくなっているから』との声を紹介。稲作経営の時間あたりの農業所得が15年592円、20年181円、21年と22年は10円に下がっている状況を示し、なぜ下がったのかと追及」している。「首相は労働者の賃上げが必要だと言うが、農家の手取りはどう上げるのか」「生産者へまともな支援がない」「21年の各国の農業関係予算に占める直接支払い(助成金)の割合が日本は28%と最も低い」「1980年には、農林水産予算が軍事費を上回っていましたが、その後逆転、2023年には軍事費が当時の3倍に」「食料の安全保障が焦点になっているとき、日本の農林水産予算を抜本的に増やすことこそ、政府が果たすべき責任ではないか」と紙氏は追求したが、これは国民のいのちに関わる問題。これほど真っ当な要求に背を向け続ける自公政権に道理はない。

▶ 27日紙面、「田村貴昭議員は質疑で、自民党政権が米国の余剰農産物を受け入れ輸入自由化を進め食料自給率を1965年の78%から38%に落ち込ませた自民党農政の責任を厳しく批判。……『安全でおいしい食料を日本の大地から』『これは農家だけではなく、国民の願いだ。そのためには、農家が農業で暮らしていける収入がなくてはならない』と強調。2022年の畑作経営の平均年収が補助金を入れても223万円、稲作経営の平均年収が1万円、酪農は年間49万円の赤字だと指摘し『この事態の抜本的な改善なくして農業と農村の再生はない』と、価格保障や所得補償を抜本的に充実し、政府の責任で基本法に明記すべきだと主張。『経営形態を問わず農村で暮らせる所得を国が保障することが必要だ』」

 「改定案と同時に、提出された『食料供給困難事態対策法案』は有事の際に農家に芋などを作ることを罰則で義務付ける異常なものだ。1941年(戦時中)につくられた国家総動員法に基づく農地作付統制令・臨時農地等管理令にうり二つだ、と指摘し、撤回を求めました」

 食料・農業・農村基本法改定案の是非について、赤旗はしばらく前から連日のように取り上げ、農家や学者らの見解も紹介し続けている。一方、朝日新聞は26日、27日付とも、この話題にまったく触れない。商業紙読者の圧倒的多数が非農家だからだろうか。あるいは朝日の社論として国民の食料に関する話題に重きを置いていないのか、そこはよく分らない。だが、食料が「いのちとくらし」を支える土台である点において、赤旗の姿勢に私は強く共感する。

 赤旗は1928年2月1日創刊で、96周年を迎えた。2月1日はくしくも私の誕生日、奇縁を想う。戦前から反戦平和を訴え続け、常に国民目線で考え、弱者、少数者の立場に立った報道に徹している。40年以上も購読しているが、その報道姿勢は変わらず一貫していて、私にとって貴重な道しるべの一つである。

 朝日新聞は27日、兵器の話題を1面で取り上げている。英国、イタリアと共同開発する戦闘機の輸出解禁(26日閣議決定)を取り上げ、昨年来の殺傷兵器輸出解禁に続いて安保政策の大転換だと1面で大きく記事にした。赤旗も「死の商人国家」へ重大転換、と政府の憲法蹂躙を厳しく糾弾する記事を1面に載せている。この話題もおろそかにできない。別途、取り上げることにする。