小さな農と未来のことと → 本ができました

 昨年6月に開始した、この1,000字ブログの「農」に関する部分を、単行本にまとめました。ブログを始める狙いの一つだったのです。


動機は、

  • 日本の農と農村の衰退を何とかしたい
  • この国の農政に根本的な問題がある
  • 有機農業を推進する必要があり、環境再生型農業にコマを進めなくてはならない
  • 農を担う人が激減している。食の自給が大課題なのに、このままでは日本は飢える。農家を劇的に増やさなくてはならない。どうしたらいいか
  • 有機農家として、日本の農と食と環境を守る提案をしなければ・・・

  

 

 ブログは本出版の原稿を兼ねていました。

 ようやく刊行にこぎつけました。

 

 ブログは続けます。課題は多岐にわたります。小さな農と未来のことについて、まだまだ書き続けなければ、と思います。

 

 2024年6月30日

 

期待される農へ(2) 果物の有機栽培

 国産の有機農産物といえば、これまではほぼ米と野菜。そこに若干の小麦・大豆の加工品が加わる程度だった。市民はもっと広範なオーガニック食品を求めている。だから、オーガニックのコーヒーや果物ジュース、コットン製品などが輸入でまかなわれてきた。しかし、市民は国産を求めているはずだ。有機の果物、有機ミルクや畜産物、そしてオーガニックフラワーなども。

 私はこれまで30年、野菜の有機栽培、近年はそこにコムギとダイズの有機栽培を加えて技術開発と練磨にかかりきりだった。野菜栽培ということでは、慣行栽培時代を含めて50年にわたって携わってきた。おおよそ150種を超える野菜の栽培経験がある。飽きてきたとは言わないが、もうそろそろ別のカテゴリーに挑戦したいと思っていた。

 そこで、自分が食べたい、自分で育ててみたいと心ひそかに思っていた果物の有機栽培を、3年前に始めた。キウイ(+サルナシ)、ブドウ、カキ、イチジク、柑橘(ミカンとレモン)、アンズ(杏子)、そしてナツメ(棗)である。

 これまでの50年間、私の作物栽培は常に誰かと一緒の共同作業、集団作業だった。これまでずっと「学生と共に」「研修生と共に」が常だったが、4年前に個人農園を手に入れた。まったく一人だけ、自分の思い通りになる農園なのだ。今こそ、と畑に果樹を植えたのだ。無農薬栽培のチャレンジである。

 昨年から少しだけイチジクとブドウ、キウイの収穫が始まった。今年はさらにミカンとサルナシ、ナツメ、カキが食べられそうである。ナツメも少し着果したようだ。楽しみでワクワクする。無農薬だからブドウにはタネ(種子)がある。ジベレリン処理しないから果粒はやや小さい(ジベレリンは果実肥大を促す効果がある)。ハウス内の柑橘にはアブラムシが繁殖している。カキとアンズは病害に侵されないかと気が抜けない。いかにして農薬を使わずに収穫を安定させるか、まったくゼロからの挑戦なのだ。

 わが農園の果物栽培は、国産有機果物を期待する市民(まずは家族、孫たち)に一刻も早く成果を示し、おいしい有機果物を普及させたいがためのチャレンジなのだ。畑の果樹を毎日見回り、手入れする時間は自分の年齢を忘れている。忘我の境地とはこういう時間をいうのだろうか。

 期待される農にはいくつもの側面がある、国産農産物の量、食品としての質、そして多種多彩であること。食品に限らない。衣食住の「衣」や「住」に関わる工芸作物もある。それらの全てにおいて無農薬・無化成肥料のオーガニック産品が求められている。その一端にでも貢献できればと、我を忘れて取り組みたいと思う。

徒然に(16) 沖縄全戦没者追悼式に思う

 昨日、6月23日は沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」だった。戦後79年を経てなお、沖縄が平和の島となっていない現実を突きつけられている。日本にある米軍基地の7割が今も沖縄にあるほか、近年は自衛隊駐屯地が増え、新たにミサイル部隊の配置があるなど、前線基地化が進んでいる。玉城デニー知事は「平和宣言」に「沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊を慰めることになっているのでしょうか」と、沖縄県民より米軍への配慮を優先する政府へのいら立ちを込めた。

 NHKが追悼式と平和の礎(いしじ)に手を合わせる人々の様子を中継していた。追悼式で、宮古高校3年の仲間友佑さんの朗読に、最初から最後まで私は涙が止まらなかった。「・・・あの日/ 短い命を知るはずもなく/ 少年少女たちは/ 誰かが始めた争いで/ 大きな未来とともに散って逝った/ 大切な人は突然/ 誰かが始めた争いで/ 夏の初めにいなくなった/ 泣く我が子を殺すしかなかった/ 一家で死ぬしかなかった/ 誰かが始めた争いで/ 常緑の島は色をなくした・・・」

 思いのたけを力強く、しっかり前を向いて平和を願う、立派な朗読だった。彼らの未来を絶対に奪ってはならないと、切にそう思った。

 政府は米軍とともに戦争準備に突き進んでいる。沖縄県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦を、また「誰かが始め」ようというのか。中国や北朝鮮への警戒を理由にして、基地に囲まれてくらす沖縄の人々の日常とその思いを顧みないのか。その姿勢はひどく傲慢で、憎まずにはいられない。

 仲間友佑さんの詩は、今日24日、朝日新聞赤旗の両紙に掲載された。赤旗ではもう一つ気になる記事があった。「『原爆の父』被爆者に謝罪」として、「原爆の父と呼ばれた米科学者ロバート・オッペンハイマー博士が終戦後、米国で面会した被爆者らに『涙を流して謝った』と、立ち会った通訳の女性が証言する映像が見つかった」という。

 映像は1964年のもので、通訳が言うには「(オッペンハイマー氏が)会うなり、ぼうだの涙を流して『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』と謝った」という。この記事に、ちょっとだけ救われた気がした。米映画では、広島、長崎への原爆投下後、オッペンハイマーと面会したトルーマン大統領が「あんな泣き虫を2度とこの部屋に呼んではならん」と吐き捨てたという。

 科学者は世のためにならない仕事をしてしまうことがある。科学技術はその裏面に恐ろしい背徳性を隠すことがあるのだ。政治に翻弄されることもある。農業技術だって例外ではない。肝に銘じなければならない。

徒然に(15) 鬱々として

 老化とはこういうことなのか。このごろ自分の身体の変化に心が追いついていかない。なかなか得心がいかないで、つい鬱々(うつうつ)としてしまうのだ。この鬱々こそが老化現象を象徴しているように思う。

 耳が壊れて自分の声さえよく聞こえない。周りに他の音があると、自分が正しく発声しているか不安になる。話かけた相手にきちんと言葉が届いているかと、心配してしまうほどだ。妻に聞くと「ちゃんと届いているよ。いつもの声だよ」と言ってくれるが、自分の声がボワボワとくぐもっていて水中で話しているようなのだ。補聴器を着けていてもそうなってしまった。

 難聴は今も進行していて、1年後は家族との会話も難しくなるかもしれない。そこで4月から手話教室に通い始めたのだが、今度は別の困難が現れて手話も断念しなくてはならないかもしれない。

 両手の肘から先、手指の関節や筋肉に痛みが出て、指を使う手作業が辛くなってきたのだ。神経痛というのか、腕と手指のそこここにいきなり痛みが出る。思いがけないときに急に痛み出すので始末が悪い。鍬や一輪車の柄などを強く握ることには今のところ支障はないが、繊細な手作業は痛みが邪魔してうまくできなくなった。痛みは四六時中あって、車の運転も少々不安になってきた。

 繊細な指使いを求められる手話は、こんな状況では困難である。

 3年ほど前にもこの痛みがあって、整形外科に診てもらったことがある。医師曰く「手の使い過ぎです」とのことで、痛み止めを処方されただけだった。電気治療に「週3回くらい通えますか」と言われたが、医師の顔つきから治療効果はさほど期待できない様子がありあり。この痛みはあきらめて、渋々付き合っていくしかなさそうだ。「手の使い過ぎ」なんて言われて納得できるものではない。手を使わないで農など不可能だ。

 難聴とリンクしているのか、数年前から妙な「ふらつき」を時折感じることがあった。1年ほど前からそのふらつき頻度が増してきたので、耳鼻科から「眩暈(めまい)」を抑える薬を処方してもらっている。日に3度、食後に薬を飲む習慣ができてしまった。先々週、月一の耳鼻科診療を忘れて薬を切らしてしまったら、途端にひどい眩暈で一日寝込んでしまった。グラグラと吐き気で寝室に籠ったのだが、時期がきたタマネギの収穫を逸してしまって、そっちの気がかりもあって鬱々が増してしまった。

 頼まれ仕事もまだ少し引き受けているが、この状況ではいずれ新たな依頼は断ることにせざるを得ない。身体の変化に見合った暮らし方を模索しようと思う。ただ、農作業と、キーボードを打つくらいは続けないと・・・

この国のかたち(19) 身体に障害があるということ

 旧優生保護法による強制不妊手術の被害者が国に謝罪と損害補償を求めている裁判の、最高裁での審理が始まっている。最大の争点は、不法行為から20年の間に裁判を起こさないと賠償請求権が消滅する「除斥期間」の適用についてである。被害者が、自身の被害について裁判に訴える方法があることを「知らなかった」例、裁判を起こす困難な事情があった例が多いのだ。

 6月4日の赤旗に、ともに聴覚障害のある老夫婦の事例が載っていた。最高裁弁論での代理人発言の要旨から抜粋してみよう。

 「2人は全く耳が聴こえませんが、耳の聴こえる人と同じように、ごく普通の望みとして子どもがいる家庭を思い描き、1970年に結婚しました。結婚して数年後、妊娠がわかったとき、子どもがほしいと強く思っていた2人がどんなにうれしかったか、その喜びは耳が聴こえる夫婦と何らかわりませんでした」

 「ところが、妊娠9カ月目に帝王切開で出産することとなった○○子さんに対して、その手術と同時に、優生手術が行われたのです。ただ、2人に優生手術が行われたことは知らされませんでした」 生まれた子どもは、不幸にして直後に亡くなり、2人は悲嘆にくれたといいます。

 2人がこの裁判を提訴できたのは、ヘルパーさんや聴覚障害者協会の人々の助けがあってのことだった。周囲の協力がなければ、2人はこの裁判のことを知ることなく、提訴できなかったのだ。

 「生来の聴覚障害は、音が聞こえないことで、日本語の言語習得が非常に困難で、文章を読んだり書いたりできない人もいます。情報を適切に得ることができず、さまざまな困難に直面します。新聞やテレビから情報を取ることさえできない○○子さんが、自分への手術が優生保護法に基づくものだと認識するなどできたはずがありません。加えて差別・偏見が色濃くまん延した社会で、どうして裁判など起こせるでしょうか」

 除斥期間の適用で訴えを退ける審判があってはならないと強く思う。

 私も聴覚障害者になろうとしている。補聴器を着けても、1m以内に近づかないと会話が困難になった。聾者夫婦が、「ごく普通の望みとして子どもがいる家庭を思い描」いたのに、理不尽な法律と偏見、差別によってその希望を奪われた被害のことは、とても他人事とは思えない。聴覚を失いつつあるがゆえに、幾重にもその哀しみが分かる気がするのだ。

 難聴のことは、今のところ強い悲観にはなっていないが、できることが限られてくることへの気落ちは確かにある。気持ちが下降すると心身の健康維持に影響があるだろうから、そこは意識して暮らさなければならない。公的な悲憤を表明することも、健全な精神を維持する一つの方法かもしれないと思うのだ。

環境問題と農業(5) 花バチがいなくなった!

 ズッキーニが実らない。自然着果を期待できなくなった。何もしないでいると、果実が先細りの不完全果になり、そのまま置くと先端から腐敗してくる。受粉が不完全なのだ。蜂が授粉してくれないのだ。

 4月下旬に定植し、5月中旬から開花が始まったので、まずは人手で授粉し良果を収穫できていた。5月末、そろそろ蜂も飛んでいるだろうと授粉を止めたら、全く良果が実らない。花弁の開いている午前中、ズッキーニを見つめていても、一向に蜂が飛来しない。ごくたまに小さなハチが来るが、数はきわめて少ない。スイカ、カボチャも植えているが、正常に着果するかどうか心もとない。

 この蜂の少なさは異常である。過去10年来、年々蜂の目撃が減っている。激減と言っていい。庭のバラにもほとんど来ない。この衝撃、私には極度の不安となっている。1962年にレイチェル・カーソンが著わした「沈黙の春」が現実になった。まさに今、目の前にそれを見ているのだ。

 1980年代に、すでに警告が発せられていた。農林業が生物種の絶滅を促す主要因ではないかという科学者たちの指摘だった。ところが日本の農業界はほとんど反応しなかった。

 2019年に、世界132カ国の政府が参加する「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」が、衝撃的な予測数値を発表している。動植物約800万種のうち、「今後数十年間で100万種が絶滅のおそれがある」との警告だった。「昆虫種の40%が絶滅するおそれ」があるというものだった。

 種の絶滅に先立って、前兆として個体数の激減がある。花バチの飛来が極度に減っている現象は、いずれ近いうちに日本の花バチ類の種の絶滅が進むであろうことを暗示している。影響は作物に限らない。森林や草原の虫媒花植物は、今後、その生態に大きな影響が及ぶだろうと思う。森の実り、草原の実りが不安定になれば、その影響は広範囲に及ぶだろう。私たち人のくらしに大きな影響があるに違いない。

 いますぐにでも、対策しないといけない。

 農薬はやめよう。特に殺虫剤は使ってはいけない。除草剤もやめよう。

 今すぐにでも、日本の農業界は無農薬農業へと転換しなければならない。

 私たちの子ども、孫、ひ孫の世代が「自然環境と賢く調和共生し、国として食の自律を計って飢えることのない」よう、今の私たちの責任として、その決断が迫られているのだと思う。

 

この国のかたち(18) 食料・農業・農村基本法改定案が成立してしまった!

 一昨日の29日、食料・農業・農村基本法改定案(改定農基法)が参議院で可決、成立してしまった。賛成したのは自民党公明党、日本維新の3党。この3党は今後の国民の食に責任を持たないと宣言したも同じ。日本の農と農村の崩壊を「望んだ」、国民の飢えの恐れを「知らぬふりした」と未来人に追及されても反論できないだろう。これを許した我々も同じ責めを負う。

 改定案に反対した立民、国民、共産の3党の主張にはそれぞれ隔たりはあるが、この改定案は適切でない、通すべきでないとの認識では一致したのだろう。

 「TPP、日米貿易協定、日EUEPAなど、歯止めなき輸入自由化が進み、安い農産物の大量輸入が続いてきた」「(こうした経緯のもと)法案は自由化路線を改めるどころか『安定的な輸入を図る』などと書き込んである」「生産者に対する直接支払いをかたくなに拒否し、農家の苦境を放置するなら、農業・農村の崩壊を招く」「政府の責任で、所得補償・価格保障を行い、再生産を支える仕組みが必要だ」「(改定案は)最重要課題の食料自給率の向上を投げ捨てた…… 食料と農業の危機を抜本的に打開するには、食料自給率の向上を国政の柱に据え、危機打開にふさわしく農林水産予算を思い切って増額することだ」(共産党、紙議員の反対討論)

 事の本質は、農林水産予算を過去数十年にわたって減額、減額の流れを作ってきたことだ。1980年代に5兆円を超える予算額(補正を含む)だったものが、今では3兆円(同上)に減ってしまった。国の総予算に占める割合は過去40年余で4分の1以下に縮小されている。対して大企業への手厚い投資、軍事費の膨張がある。農林水産予算はその犠牲になってきたのだ。単なる「しわ寄せ」ではすまない「新自由主義」経済の思惑が政権与党をむしばみ、国民の食を保障すべき農政をも蹂躙してきたのだ。

 今日の赤旗によると、教育予算も同じ「あおりを食ってきた」ことが分かる。教育予算は2000年前後までは5兆円を超えていて軍事費より多かったが、2004年に逆転して教育予算は4兆円に減り、軍事費は今年7.95兆円に膨張した。

 各国の国公立大学の授業料と公的負担割合の一覧によると、日本は5177ドル・32%であるが、デンマークフィンランドノルウェースウェーデンは0ドルで公的負担割合はいずれも80%以上である。ドイツは148ドル・83%、フランス233ドル・77%である。日本も大学授業料の無償化(せめて半減)を早急に実現すべきである。

 農の再生も、子どもへの投資も、いずれも国の予算の拡充が叶うかどうかにかかっている。いずれも「人への投資」がカギである。輸出産業、軍需産業への忖度が国の予算を左右するような政府であってはならない。