徒然に(11) 聞く、教わる

 子どものころ、親に教わったことは多かったが、覚えていることは限られる。父親はやさしい人だったが時に厳しく訓戒を垂れることもあった。こちらが不始末したとか、不誠実だったときだから親として当然の説諭だったと、子どもにも納得できた。その訓戒の中で諺(ことわざ)とか格言の類をあえて教えようとすることがあった。

 今日の朝日「声(Voice)」に12歳小学生の「中学でも『聞かぬは一生の恥』で」があった。「私が大切にしたい言葉は、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』です。……自分をもっと成長させるには、この言葉がぴったりだと思うようになりました。この言葉を心にとどめて、中学校でも頑張っていきたいです」とある。この子の言葉で今日の私は満たされる思いになった。「聞かぬは一生の恥」は、父親が教えてくれた私の金言だったからだ。

 私は幼少時、とても人見知りだった。人にものを聞くなどという行為は、なかなかできない子だったから、それを心配した親の配慮もあったかもしれない。学校の担任先生も気にかけてくれていたように思う。クラス委員や児童会の役員、村の子供会などの役を与えられるにつれて、少しずつ積極性を身に付けていったように振り返るが、高校進学しても引っ込み思案はあまり変わらなかった。

 高校進学前に虫歯の治療を始めたが、越境入学した長野市でも続けて歯医者に行く必要があった。15歳、親元を離れて一人下宿生活する心細さの中、意を決して歯医者に出かけた。初日診療を終えた後に医者に今後の治療がどうなるか言葉を絞り出して質問したのだが、医者は私の目を見ようともせず「次は○○日」くらいしか言わず、私の聞くことに何も答えなかった。その時の恥ずかしさというか、悔しさというか、言葉にならない経験だったと、50年以上を経た今も忘れることができない。

 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」これは私の大事な信条であるが、聞かれる側も心しておくべき格言ではないかと思うのだ。特に子どもに相対するときの大人の態度として、重く自覚すべきである。人見知りの子ども、内気な人が意を決して他人にものを尋ねる時の、その胸の内を推し量れる人でありたい。これも私の大事な信条である。

 15歳の春の挫折によって、その後何年も歯医者には足を向けなかった。歯医者を信頼できなくなったからだが、そのせいでたくさんの歯を失った。今になって悔やんでも遅いし、あの時の歯医者を恨んでも詮無いことだ。「人のふり見て我がふり直せ」がいい。