農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その四、川の生きもの)

 山の動物のことを前述したが、獣肉や熊の胆など、直接的な恵みのことだけをもって “幸” と言ってはつまらない。狐狸妖怪などの民話を生み、人の思惑がやすやすとは及ばない自然の神秘性を知り、敬う心を育む存在。山野がもたらす恵みには文化的な要素がたくさんあったと思うのだ。食卓に上った山鳥 (やまどり) の肉は美味しかったが、それよりも山鳥の姿の美しさと凛とした気品が私の脳裏に印象強く残っている。

 

 川の生きものとの交わりは1,000字では語り切れない。今回だけ決まりを破って、2,000字で綴ってみようと思う。

 集落に近い山すそにはいくつも湧水口があった。そこから流れる幾筋かの川にはさまざまな生き物がいて、子どもたちの心を躍らせ、そして獲物になった。小さな子どもにも捕まえられる生き物から、ちょっとした漁具を必要とする高学年向きの魚まで、狩りの技は段階を踏んで習得するものだった。

 小さい子どもが最初に覚えるのが “サンショウウオ” の手づかみ。湿田にいる “イモリ” と見た目は似るが、イモリは腹が赤くて気味が悪い。湧水口に近い清流の浅瀬にいて白い腹のサンショウウオは簡単に捕まえられた。夏に捕まえたサンショウウオは戸障子にペタリと張り付けておくとカラカラの干物になる。地炉 (囲炉裏) で焼けば食べられるのだが、イモリの姿が頭をよぎるので1~2度しか口にしなかったように思う。その次は田んぼのドジョウだったが、食卓に載せたのだったかどうか、定かには思い出せない。

 ちょっと足をのばすと、信濃川の支流には “鰍 (かじか)” がたくさんいた。年上の子に “ヤス (先が3本の銛)” の使い方を教わり、川底に張り付いている鰍を突く漁が快感で、上手になると自分の成長を実感できた。自分用の箱メガネ (底にガラスをはめ込んだ水中を見る木箱) を作れるようになることも目標だった。鰍は煮つけや素揚げ、から揚げでとても旨かった。

 最終目標が “岩魚 (いわな)” である。漁法は3種あり、一つがすくい網の漁。太い綿糸で編まれた口径50cm、深さ80cmくらいの袋状の漁網に番線とYの字の丸木の股を取り付けて使う。一人は網を小川に沈めて待ち、もう一人が10mくらい上流から太い棒で岩魚を追い立てる二人組の漁だ。幼魚が入ったら持ち帰らずに逃がせと年長の子に言われていたが、なんだか惜しくてそうしなかったことがある。それは背信のようで心苦しかった。獲った岩魚は自分で腹ワタを取って塩焼きにした。渋柿の腐汁 (タンニン) で漁網を丈夫にする技も教わった。

 二つ目がカンテラで夜突き。カンテラの炎で川底を照らしながら夜行性の岩魚をヤスで突く。懐中電灯では波の反射で水中が見えないが、炎だとよく見える。兄に連れられてカンテラ持ちの役を振られ、兄の岩魚突きを見て覚えた。まずは自分用のカンテラを手に入れること、が目標だった。カンテラがあっても、ガス源になる “カーバイド” を買う金も要る。漁網もヤスもカンテラも、いかにして手に入れるか、友達とあれこれ知恵をしぼりあったように思う。カンテラは、結局は自分用を手に入れられずに終わった。数十年後、大人になってから古道具屋で真鍮製のカンテラを見つけた時は胸が躍ったが、とうとう使う機会もなく、今も道具箱の中に眠っている。たまに擦って昔を懐かしむだけである。

 岩魚の “手づかみ” が三つ目の漁法。岩魚は日中、流れにえぐられた岸下の窪みに潜んでいる。川に入ってしゃがみ、隠れていそうな窪みに手のひらを上にして両手をそっと入れる。手の甲を川底に着けて静かに奥まで伸ばすと、岩魚がいればその腹が手のひらに触る。その感触と感動で顔が火照る。岩魚の頭と尾びれ近くの腹とを両手でキュッとつかめば成功である。衣服はびしょぬれになる。

 手の感触だけで岩魚を見つけ、獲る技は、年長の子どもから言葉で教わっただけでは分からない。何度もなんども川に入って体得するのだ。岩魚の腹はいつも川底に触れているので、腹は鈍感。そんな魚の習性も、子どもたちはこうした実践で学び取るものだった。こんな刺激的な遊びがほかにあろうかと、その頃の興奮を思い出す。通学途中にカバンを投げ出して川に飛び込んだこともあるほどだが、一度だけ横穴に潜んだネズミを握ってしまった失敗もあったっけ。

カンテラアセチレンランプ)は、燃料となるカーバイド(炭化カルシウム、炭化ケイ素など、白い岩石状のもの)を下の容器に入れ、上部に水を入れる。ネジ式のコックで下の容器に点滴するとアセチレンガスが生じ、マッチで点火すると突起口に炎が灯る。炭鉱夫などが利用したが、農村では種イモや作物種子を共同保管する穴倉などで使用した。

 隣の集落を流れる清水は「竜が窪」という名の池から流れ下る。この池は山毛欅 (ぶな) と杉に囲まれた静謐な森の中にあって、いくつもの湧水口から湧き出る日量43,000トンの清冽な水によって満たされている。竜神伝説の残るこの池には、子どもは一人では近づき難かった。数人が集まって “行ってみようか” と相談がまとまった時だけ、静かに訪れる場所だった。今や、竜が窪は日本の名水百選に指定されている。

 この池にはずっと昔から “カワマス” がいて、繁殖地になっている。この池のいちばん大きな湧水口のそばに弁天様が祭られており、その近辺が産卵場所である。神秘な池に封じ込められたカワマスの捕獲はタブーであり、子どもたちもそれを固く守った。このマスは今も池の守護者のように静かに泳いでいる。

 山の獣の神秘性、水中の竜神になぞらえるものへの尊崇、奥山や水底に潜む幽玄な “もののけ” を感じ取り、それを畏れる心。誰彼に教わったというものではない。雄大深遠な山野そのものから身体全体で感じ取って得たものこそが、私の “幸” であった。

 あの川、この川に、岩魚はもういないという。「どうして?」と誰に問えばいいのだろう。