農とくらしの技(わざ)

農とくらしの技(8) 自然エネルギー利用の「踏み込み温床」

もうじき春分というこの季節、温暖地の農家は野菜の育苗を始める。近ごろは電熱温床が主流だが、有機農家などで伝統技術の「踏み込み温床」を作って使う例がある。農家だけでなく、家庭菜園者のなかにも自然エネルギー利用のこの技術に注目する人がいる。そ…

農と暮らしの技(7) 橇 (そり) で運ぶ(その二)

春の雪消え直後は、農家はとても忙しい。待ってましたとばかりに田畑の作付け作業が一斉に始まるのだ。だから、少しでも早く雪を消す工夫が昔からあった。 田んぼに堆肥を落とし込む穴を掘るついでに、下の田土をすくって周囲に撒くことがあった。黒い色が太…

農と暮らしの技(7) 橇 (そり) で運ぶ(その一)

農は物を運ぶ仕事がとても多い。堆肥や肥料、さまざまな道具、そして収穫物。どれも重い物ばかりだ。今は軽トラックをはじめ、さまざまな運搬車があるが、昔はどうしていたのか。時には家畜に背負わせたり荷車を引かせたりしたが、人が背負い、後にはリヤカ…

農と暮らしの技(6) 工芸作物

25年ぶりに和室の畳表を取り替えた。新しい畳は青々としていい香りがする。若い職人さんが新しい畳表の生産者を教えてくれた。にこやかな壮年農家夫婦の写真と生産者情報が記されたカードを渡されて、今はこんなにていねいな対応をしてくれるのだと嬉しくも…

農と暮らしの技(5) 箱膳

幼少時の生家のくらしを思い出すと、その後60年余の日本農業と農村の激変がよく分かる。意識すべきは、農村変貌の行き着く先が未来人の生存を脅かすようであってはならない、ということ。「ほんのちょっと昔の農とくらし」を掘り起こす試みの真意は、その激…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その五「焚き物」のつづき)

ボヤ (柴) のほかに、太い丸太も橇で運び、早春の雪の上で鉞 (まさかり) で割って “にお” に積んだ。鉞の使い方も高学年になったころに自得したように思う。薪やボヤの “にお” の積み方も見て覚えた。両端2本ずつの柱木間に針金を渡してこの上に薪を積むと、…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その四、川の生きもの)

山の動物のことを前述したが、獣肉や熊の胆など、直接的な恵みのことだけをもって “幸” と言ってはつまらない。狐狸妖怪などの民話を生み、人の思惑がやすやすとは及ばない自然の神秘性を知り、敬う心を育む存在。山野がもたらす恵みには文化的な要素がたく…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その四、山の動物)

山の動物のことを思うとき、いつも少しの動揺を覚える。その理由は分かっている。小さいときに度々聞かされた狐や貉 (むじな) に化かされた話、山犬に追われた話などを思い出すからだ。小さな子どもたちが集まる場で、父はいつもそんな話をして面白がってい…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その三、竹細工)

山野には、くらしに役立つさまざまな資源があり、農山村の人々はそれを使いこなす技 (わざ) をたくさん持っていた。 例えば、私の父は晩年に綴った手記の中でこう言っている。「昔の人は生活 (くらし) の中でワラと竹は生活の必需品。無くては暮せない大事な…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その二)

山菜は、採ってきてすぐ食べられるものは少ない。調理の前にいくつかの調整作業、下処理が必要なのだ。ワラビは大概そのまま鍋に入れられるが、ゼンマイは展開前の葉が被っている “綿” を取り除く必要がある。ババ (女ゼンマイ) とジジ (男ゼンマイ) があり…

農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その一)

農の仕事とくらしは、山林原野とその資源、そのありようと地続きである。山からのさまざまな恩恵なくして農の文化、里のくらしは成り立たなかった。農とくらしにまつわる山の幸について考えてみたいと思う。 子どものころ、親や年長の子らに導かれて、さまざ…

農と暮らしの技(3) 家畜のいるくらし(その四)

前職の鯉淵学園にはかつて、敷地内に20棟ほどの職員宿舎があった。満蒙開拓青少年義勇軍幹部訓練所の職員宿舎として、昭和13年 (1938) 築18坪平屋建て。私は教職員時代の1977年から1998年まで、当初は一人で、5年目から18年間は家族とともにこの老朽宿舎に住…

農と暮らしの技(3) 家畜のいるくらし(その三)

昭和37年 (1962) に葉タバコ栽培を始めたが、それまでは養蚕をしていた。私は8歳だった。蚕 (かいこ) だけは、私は好きになれなかった。茶の間にも蚕棚を置くことがあって、桑葉を食むシャワシャワという音が今も耳に残っている。自分の食事と重なるときは特…

農と暮らしの技(3) 家畜のいるくらし(その二)

昭和30~40年代(1955~1970)、生家にはいつも家畜がいた。私が物心つき始めたころには黒毛の牝牛と鶏が20羽くらいいたし、雌山羊あるいは雌豚も飼っていた。一時期はつがいの兎がいて、池にはいつも鯉がいた。 それぞれの家畜飼育の時期は今となっては記憶が…

農と暮らしの技(3) 家畜のいるくらし(その一)

1960年代以降、日本の農家のくらしはずいぶん大きく変わった。その一つが家畜のことである。かつての日本の農村では、なにがしかの家畜を飼う家が多かった。馬、牛、山羊、豚、鶏などだ。それぞれの飼育数は、家畜種、農家の経済や家族数、耕作する田畑の規…

農と暮らしの技(2) 肥土(苗床の土)

「土を肥やす」と、昔の人は言った。“肥えた土が作物を育てる” という考え方がかつては一般的であったことの証明だ。土づくりのことである。 「苗半作」という格言があるように、育苗の出来が重要視された。だから、苗床の土(育苗用土、床土)をしっかり作っ…

農と暮らしの技(1) 藁(わら)の話(その二)

昭和30年(1955年)の頃までは、菰(こも)編みが米づくり農家には必須の作業だった。米俵が必要だったからだ。3尺幅の菰を円筒形に巻きつなげ、空いた両端を円形の桟俵(さんだわら)でふさぐと俵ができる。入れるコメの量は4斗(40升、約72リットル)、1斗枡で量っ…

農と暮らしの技(1) 藁(わら)の話(その一)

「子どものころ藁の布団に寝ていた」と若い人に言ったら、その人は “藁くずの中に埋もれて寝ていた” のかと想像したみたいで、一緒に笑ってしまった。 乾草のような藁くずの山を想像したのも無理はないが、そうではない。“ちゃんと” 木綿の袋の中に稲藁クズ…

農民、農家、百姓(4) 百姓ジャパン

5月のある日、朝日新聞のコラム記事に「なぜ侍なんだ 百姓ジャパンでよくないか」があった。WBC「侍ジャパン」のことである。 「恥ずかしげもなく新聞も連呼している。なぜジャパン=侍なんだ?」と書いた記者は、「わたしは米を収穫し、冬は猟師、サトウキ…

農民、農家、百姓(3) 百姓は多機能な仕事人集団

菰(こも)編みを体験する 百姓(ひゃくしょう)は長く差別用語として扱われてきた。だからか、現代農民のほとんどは自らを百姓と呼ばないし、関係者も今やまったくこの言葉を使わない。農村ではほとんど死語になっている。 一方、近年になって農外から参入し…

農民、農家、百姓(2) 農家は未来に文化をつなぐ

農業者よりは農民の呼び名がいい。だが、そう呼ぶ人は少ない。 過去数十年で …民の言い方はずいぶん廃れてきた。その背景には、農民とか漁民の「民」の語に蔑みを感じる人がいるのかもしれない。だとしたら明らかな偏見だが、そんな偏った、歴史的な印象に染…

農民、農家、百姓(1)  農業者? 単なる業者なのか

ジャガイモ掘り取り 農業者と、誰もが言う。 この一般名称に特に異議を唱える人はいないように見えるが、私は以前からずっと、ちょっとした違和感を覚えていた。「業者」の部分である。 実は私も人と話すとき、あるいは公にする作文では農業者の言葉を使って…