農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その二)

 山菜は、採ってきてすぐ食べられるものは少ない。調理の前にいくつかの調整作業、下処理が必要なのだ。ワラビは大概そのまま鍋に入れられるが、ゼンマイは展開前の葉が被っている “綿” を取り除く必要がある。ババ (女ゼンマイ) とジジ (男ゼンマイ) があり、ジジは胞子を着ける葉の部分を取り除かないと食べられない。キノコも石突を取り除いたり、ぬめりに張り付いた汚れを取ったりと、山から持ち帰った後すぐに下処理をする。

 ワラビとゼンマイは沸騰した湯に1~2分くぐらせた後、屋外の蓆 (むしろ) の上で揉みながらカラカラに干す。蓆だからよく揉めるしよく干せる。揉み丸めた乾物として保存し、食べる時は1~2昼夜温水に浸して戻し、煮付けや炒め物に調理する。近年は塩漬けや冷凍保存の方法もあってそれはマニュアル化できるが、昔の保存技術は年寄りから子どもへと一緒に作業したから伝えられたのだ。

 タケノコは、調理の前に皮を剝かなければならない。細い根曲がりタケノコを数多く皮むきするには、きれいに手早く剥く技能を要する。「皮を剥く」の言葉は簡単だが、その作業は経験を重ねて習熟することが求められる。習熟するとその作業が喜びに変わり、食べる時を想像して唾が湧く。そうした子どものころのたびたびの経験が、その後の人生をなんとも味わい深くするのだ。

 子どもたちだけで伝え合う山の幸もある。アケビ (郷里ではアカイボと呼んだ) の沢山採れる場所がどんな地形で、山の向き、絡まる木々の姿など年長者の経験が貴重だった。年長者から幼少者へと伝えられる経験 “知” が、子どもたちに自信と誇りになった。まだ口を開けていない固いアケビをリンゴ箱に入れておくと早く熟す (リンゴがあればの話) など、学びの伝承も成長の糧だった。ススキの若穂の軸を食べ、軸に着く「黒穂菌を舐めた」経験など、忘れようとて忘れられない。誰に教わったかも鮮明に覚えている。

 ワラビ、ウド、タラの芽、行者ニンニク、ウルイ (大葉ギボウシ) などは今や栽培化もされている。山に出かけなくても畑で採れるし、直売所やスーパーで売られて手軽に食べられるようになった。山菜を身近な食材にする便法としては評価できるが、しかし、その利用の仕方は「山の幸」であることを忘れさせる。山の自然の恩恵であることの意味を学べないのだ。

 山の幸の採集、下処理、加工保存、調理まで、一連の利用技術は人から人へと伝承するくらしの技 (わざ) である。世代を繋ぎ、山野のありようと一体で体験することに意味がある。それは感性豊かな子ども時代に体験して「知る」ことから始まる。一緒に山に分け入る機会多々あれかし、と思う。