農民、農家、百姓(1)  農業者? 単なる業者なのか

ジャガイモ掘り取り


 農業者と、誰もが言う。

 この一般名称に特に異議を唱える人はいないように見えるが、私は以前からずっと、ちょっとした違和感を覚えていた。「業者」の部分である。

 実は私も人と話すとき、あるいは公にする作文では農業者の言葉を使ってきた。曇り空のようなモヤモヤを感じながらであったが、自戒すべきであった。

 

 農は生業(なりわい)であった。あった、とあえて言うのは、近年になって企業的農業が増えてきて、ひとくくりに生業とは呼べなくなったからである。だがやはり、いまだに95%を占める家族農業は生業である。

 農家のくらしは、業すなわち一般的な理解でいう経済活動だけで成立しているわけではない。農産物は、そのすべてが換金されることはなく、一部は自家消費に使われ、あるいは隣人や親せき縁者にも配られて「自給」品になり、「物々交換」され、時には「扶助」にも効果的に使われた。

 生産活動で用いられる技術や手段(農機具や消耗資材)も、そのすべてを購入で賄うのではなく、部分的には自給や物々交換で調達されることがある。自分でつくる堆肥の原料として野草を刈り集めたり、畜産農家から家畜糞を分けてもらったりする。カボチャの敷き藁(わら)を稲作農家から入手するなどもそうだし、ちょっとした道具は自作する技能を持っている。作った野菜やくだもの、手製の味噌を返礼品にしたりする。

 このような日々の営みは、企業的他産業との大きな違いであり、家族単位で営む漁業や個人商店などにも共通する生業の特徴なのではあるまいか。

 このように多彩に農を営む人々のことを、ひとくくりに「農業者」という、なんとも無機的な呼び方に冷たさを感じるのは私だけだろうか。

 

 農業者よりは農民がいい。あるいは農家がいい。農業者というと、経営者あるいは世帯主(多くが男性)だけが連想されてしまうが、農民や農家と呼べば、その家族、ちょっと大きな農家で働くパートタイマーの人なども包み込まれて、温かみがあっていいんじゃないか。農民とか農家の呼び方を残したいと思う。