農とくらしの技(8) 自然エネルギー利用の「踏み込み温床」

 もうじき春分というこの季節、温暖地の農家は野菜の育苗を始める。近ごろは電熱温床が主流だが、有機農家などで伝統技術の「踏み込み温床」を作って使う例がある。農家だけでなく、家庭菜園者のなかにも自然エネルギー利用のこの技術に注目する人がいる。その技術の概要を紹介しよう。

 踏み込み温床は、原理としては堆肥の発酵熱のしくみを応用したもの。古代ローマをはじめ世界各地に似た技術があったと伝えられるが、日本では江戸時代初期に江戸近郊の農民によって考案されたとされている。

 その目的は、江戸庶民や武家の「初物嗜好」に応えるためだったようだ。早出し野菜が高値で売れたのだろう。1日も早く夏野菜が収穫できるよう、春に温床を作ってタネを蒔き、温床でそのまま育てて収穫したのだ。温かい苗床で揃った良苗を育て、できた成苗を本畑に移植するのが基本だが、苗の一部を温床に残してそのまま育てると移植した株より数日以上早く収穫できるのである。ナス、キュウリ、インゲンなどに使われた。

 子どものころ、私の生家でも踏み込み温床にキュウリの数株を残して育てていた。初物を早く食べたくて、毎日何度も見に行って唾をのみ込んだものだ。初物は仏壇に供えた後、子どもが食べるのを許されたように思う。

 苗床としての踏み込み温床はどのように作られ、使われたのだろう。その方法はさまざまだったが、概要は次のようなものである。

▶ 地上に高さ2~3尺(60~90cm)、幅4~5尺(120~150cm)の枠を作る。枠の長さは農家それぞれの生産規模によって2~3mとか、10m以上のものまであっただろう。温床枠の壁は、かつては稲わらを使っていた。木枠にわら束を縦にきつく立て並べて上辺を刈り込みバサミで切りそろえる。現代ではコンパネなどで板壁にする例が多いようだが、通気性に難がある。ドリルで穴を開ける工夫が有効だろう。古畳を使う人もいて、なかなかいいアイディアだと思う。

▶ 中に発酵熱を生じさせる有機物を入れる。基本材料は落ち葉や稲わらなど。枯れたススキ、ヨシなども使える。昔の萱(かや)屋根の葺き替えで下ろした古ガヤは好適材料だったと思う。これに発熱材料になる家畜糞、米ぬか、生草などを挟み、水を掛けながら踏み込むのだ。発熱材料の量と割合、かける水の加減、踏み込む強さなどが技術の勘所だ。家畜糞は生であること、かつては人糞尿も使われたと思う。現代では生家畜糞はなかなか手に入らないし、人糞尿はもちろん使えない。米ぬかや鶏糞が主体である。生草、緑の野菜くずも有効だ。落ち葉主体では体重の重い大人が強く踏み込んでもかまわないが、稲わら主体では体の重い大人が踏み込むと酸素不足で発熱に支障が出る。稲わらの踏み込み温床では子どもに踏ませていた。

▶ 踏み込み作業の翌日から発熱が始まり、床内の温度が40℃を越えると育苗を始められる。床内を45℃前後に保つと、上に置く播種箱(プランター)の地温を発芽適温の25℃くらいにできる。高温性のナスやキュウリなどを蒔けるのだ。

▶ 早春の早朝の気温は0℃以下に下がることがある。温床内の最低気温を15℃以上くらいに保つ必要があるから、温床の上にはフィルムを被せて保温しなければならない。ポリフィルムとその上に保温マットが必要だ。日中はこの被覆フィルムを外したり掛けたりして温度調節を行う。60年以前、ビニールフィルムの登場前は、江戸時代からずっと油紙障子を使っていた。早春の保温はその上に菰(こも)や蓆(むしろ)を乗せていた。私の幼少時はまだ江戸時代方式だったのだ。

▶ 育苗は、昔は発熱床の上に肥土を数センチの厚さで載せて、そこに直接タネを蒔いていた。現代では播種箱に肥土(育苗用土)を入れて蒔いたり、セルや連結ポットに蒔いたりする。箱やセルに蒔いた苗は、さらにポリポットに移植して成苗にするのが一般的である。

 この踏み込み温床の技術は、伝統的な農の技(わざ)としては最高位のものではないかと思う。この技術を廃れさせてならないと思っている。現代の農家でこの技術を体得しているのは多くは80代以上の人になってしまったが、ぜひ若い人々に継承してもらいたい。幸いなことに、有機農家や有機栽培に取り組む家庭菜園者、半農半Xの人たちで踏み込み温床に取り組む人が増えてきているように思う。ネット記事にも写真付きでたくさん紹介されるようになった。こうした農の文化を未来人に残すためにも、農そのものの衰退は許されない。