近年、育苗と栽培の分業化が進んで、自家で苗を育てずに購入する農家が増えてしまった。育苗の手間を省こうというのだろうが、結果的に苗づくりの技術が農家の手から奪われつつある。苗を買うのは主にトマトやナスなど果菜類。水稲苗を農協に委ねてしまう例もある。自分で作れない農家が、苗の良し悪しが分かるだろうか。販売業者の求めるがままに金を払うことになる。
有機農家は、農外からの新規参入者が多い。そのため、技術の習得は既存の有機農家に弟子入りして習得する。新人研修に前向きな有機農家は、その多くが 自家育苗 している。教え子は育苗技術をきちんと習得し、就農後も自分で苗を育てることができる。多品目生産の有機農家で教われば、教え子も多品目対応のノウハウを身に付けられる。
ところが、有機農家でも苗を購入する事例が現れた。慣行農家から転換した有機農家、あるいは果菜類を施設栽培する単作経営の有機農家 (近年増えてきた) などだ。特に後者は、連作障害回避のために接ぎ木苗を購入するのだ。すなわち接ぎ木技術を身に付けず、育苗業者にすべて委ねて高価な接ぎ木苗を「買わされる」。自ら育苗しないで、責任をもって生産したと胸を張れるか。
何とか自家育苗を守っている農家でも、育苗用土を購入して済ませる事例がとても多い。有機農業でもそうした事例があって気がかりだ。苗床の土を業者に委ねるということは、その土の由来を気にしないということ。「用土」とはいうものの、本当に「土」なのかどうかも疑わしいものが多いのだ。そんな育苗用土?が一般化して流通している。育苗に使えば「疑わしい用土」が苗定植によって自家農地に持ち込まれるのだ。それでいいのか。
苗床の土は、身近な地域資源を使って自家製造する技術を持つべきだ。苗床の土もきちんとトレースできて、農産物消費者に自信を持って説明できるものでありたい。技術、資源、コストを、安易に業者の手に委ねるべきでない。
種子生産は外国に依存し、苗はなんとか国内ながら育苗業者に依存するようになり、農家はただ自家農地に植えて収穫するだけ。そんな風潮が一般化することを以って「もうかる農業」の進展だとするのであれば、それは自滅の道ではないか。経済主義がそうさせているならば、農の文化の敗北ではなかろうか。
種子を一粒ひとつぶ自らの手で自作用土に蒔き、その健全な生長を毎日見守り手をかけて育て上げ、成苗を田畑に植えて停滞なく健やかに育つさまをずっと見守る。種子から育てた作物の一生を知る、そういう農家が大勢であってほしいと、そう思う。
接ぎ木技術のことは、次回の話題にする。