この国のかたち(9) クリティカルシンキング(批判的思考)

 今日11月26日の朝日新聞の「声 (Voice)」、18歳高校生の『議論重ね自分の意見持つ教育を』に注目した。若い人の論理的で説得力のある意見表明に明るい希望を見た思いがした。

  「両親は日本人とアイルランド人です。日本の高校に留学し、教育の質は高く、特に数学はレベルが高いと思いました。一方、物事の本質を見極め論理的に思考するクリティカルシンキング (批判的思考) の力を文系科目で身に付ける教育が欠けていると思いました」「クリティカルシンキングは人々が物事を分析する際の基礎となる力で、これなしに民主主義の実現は難しいと思います。この力をつける教育改革は、科学やビジネスを含むあらゆる分野でアイデアや革新を生むと思います」

 得たり、である。

 先日15日の本ブログで「自治の危機」を訴えた際、健全な批判力を身に付ける重要性を語ったばかりである。幸いなるかな私は端緒を自力で学び、農学校の学生自治会で強化してもらった。戦後20~30年の間に青年時代を過ごした現在の老年~熟年世代は、社会の動きの中でかろうじて身に付ける機会があったが、その後そういう風潮がしぼんでしまった。流れのままに現状は、投稿した青年の言う「批判的思考」力を身に付ける機会を持てなかった日本人が大勢を占めているように思う。

 学校教育の場で、この批判的思考力を養うしくみを作るべきであるが、政府の文科政策はそれに逆行している。国立大学法人法の改悪案が今国会に上程され、充実した審議のないまま衆議院を通過してしまった。

 今日の朝日社説にも『拙速な立法 成立見送れ』で「大学のあり方を変える重大な法案だが拙速に提出、審議され、衆議院でも多くの疑念が解消されていないままだ」「大学の教職員らからは『学問の自由』『大学の自治』を脅かすと懸念の声が広がる」「国立大学協会の総会で永田恭介会長は『唯々諾々と認めてはいけない内容も含まれている』と発言」と記されている。中央教育審議会に諮ることなく、「委員会に参考人で呼ばれた学長や教授ら全員が最近まで法案を知らなかった」そうだ。現政権の専横ぶりが、ここにも現れている。

 こうした権力の横暴にも国民から大きな批判の動きが現れず、ましてやテレビなどマスメディアも大きく取り上げない背景には、「批判的思考」力を身に付ける機会を奪ってきた長年の教育支配の歴史があるのではないか。

 アイルランド青年の的を得た指摘がとても重い。