この国のかたち(7) 自治の危機

 辺野古新基地をめぐって国の専横が極まっているが、これは “自治” を破壊する行為である。本来、国と地方自治体は対等の関係にあるのだが、こと日米安保に関わる問題で国は一切妥協しようとしない。沖縄の民意を全く顧みずに推し進められる南西諸島の軍事基地化は、こと沖縄だけの問題ではない。あらゆる“自治”の根幹を揺るがす問題だと受け止める必要がある。

 学術会議のありかたに関わる有識者会議の議論が進んでいる。政府の意向は「学術界を政府の意に沿うように利用したい」であり、学術研究の自治を弱めることがねらいである。結果的にそれは表現の自由言論の自由をじわじわと奪い、権力と財力におもねる社会を生み出すことになるだろう。

 今国会で、政府は国立大学法人法の改悪案を提出して、国立大学5校に新たな運営合議体「運営方針会議」の設置を義務付けようとしている。これは、運営の最終決定権を持つ合議体の委員を文部科学相の承認事項にする法案。かつてどの高等教育機関にもあった「教授会をベースとした自律的運営」を認めず、大学自治を葬り去ろうとするものだ。いずれ全大学に波及するだろう。

 「今回の法案は、瀕死の状態にある日本の大学自治に最後のとどめを刺す、死刑宣告です。…… 今年は国立大学が法人化されて20年目です。大学の自律性を高めるという説明とは裏腹に、この間、国立大学の自治と自律性は大きく壊されてきました。…… 政府に承認された学外者が多数を占める合議体が中期計画や予算を決めるようになり、政府による大学支配が完成されます」「大学の自治は政財界の有力者が大学を私物化する傾向への歯止めとなってきました。今やその歯止めが破壊されようとしています」(駒込京都大学教授、赤旗11/9)

 駒込氏はさらに言う。「そこで失われるのは、大学の自治や学生の自治であるばかりでなく、自治をする能力であり、それを育てることのできる空間です

 この指摘がとても重い。大学で学ぶ意味は何か。専門領域を学んで高度な知識を身に付け、未来社会に貢献できる人を育てる場が大学。そこでは「疑問をとことん追求する能力と態度」「健全な批判力」が大きな意味を持つ。言われるがままに働くロボットではなく、権力者に安易に追従せずに堂々と主張する能力と精神。それを育てられる大学でなければ、健全な未来社会の創出は望めないだろう。

 私はかつて、地方の小さな農学校でその自治の価値を存分に学んだ。大学どころか専門学校とも自称できない「各種学校」だったが、1970年代、運営者も教育者も自治の意義を十分に承知し尊重して学生を育てていた。

 今にして思う。「自治」がいかに大切な概念であるか。未来人に確かに手渡すために今が正念場である。