徒然に(3) 学び直し

 遠く萩と周防に旧友3人を訪ねる旅に、武蔵野のY君と美濃のU君が同行してくれたのだが、二人とも “学び直し” に関わっている。

 Y君は東京都の農業技術職を65歳で退職した後、受験勉強に精出して1年後に大学生になった。3年生の今年から卒論にとりかかっている。研究課題は「中国残留孤児」。この課題に取り組むきっかけは、母校鯉淵学園の歴史にあった。

 鯉淵学園の立地は、敗戦時まで満蒙開拓青少年義勇軍訓練所(内原訓練所、1938-1945)の「幹部訓練所(農業指導員養成)」であった。満蒙開拓青少年義勇軍は傀儡国家 “満洲国” への国策による植民政策の一環で、全国から集められた数え歳16歳から19歳の青少年8万6000人余が、内原(現水戸市)で3カ月の農業訓練を受けて大陸に渡っていった。“日中戦争遂行上必要不可欠な満洲支配の安定的維持に青少年が挺身すること” が目的の “青少年義勇軍”。訓練所内の彼らの宿舎は“日輪兵舎”。狂気の時代だった。

満蒙開拓青少年義勇軍訓練所の宿舎 “日輪兵舎”

 Y君は、この歴史に学生時から強い関心を寄せていた。40年以上も温めていた思いを今、大学での学び直しと帰国残留孤児の支援活動によって果たそうとしている。かつて戦争の時代には、農業教育までもが他国侵略に利用されたのだ。

 U君は、40数年来、トマトとシイタケの専業農家で、地域に100戸ほどあるトマト生産者のリーダーの一人である。高齢化で離農する農家が増えてきたため、対策として新規就農者を育てて産地の維持を図る活動をしている。これまでに10名以上の研修生を受け入れ、若いトマト農家を育ててきたという。

  「俺さあ、去年と今年、どっちも3月に意識を失って病院に担ぎ込まれたんだよ。救急車の中で意識が戻り、病院で検査したらなんでもなくて、すぐ退院できたんだけどね」 毎年4月から新人研修生を受け入れてきた。どんな人が来るんだろう、前向きに研修できる人だろうか、相性は……。そのストレスが高じて倒れたんだろうという。

 県内では、農家集団が研修生を受け入れて農家を育てる活動しているのは4カ所だという。言い換えれば「4カ所しかない」。「県立農業大学校もあって、本来なら公的な教育・育成活動で就農者を育ててほしいが、卒業後に就農するのは年に1人いるかいないか」なのだ。加えて「市町村も県も担当部署は年々農業生産現場に疎くなっているように思う。もっと人を育てる力になってほしい」と胸の内を語ってくれた。誰かに聞いてほしくて満腔の思いだったようだ。身内からほとばしるように私とY君に思いを話してくれた。

 新規就農をめざす若い研修生たちの学び直しを、必死の思いで支えるU君たち農家の活動はもっと評価されていい。むしろ国の農政の主体性が問われる課題なのだ。