農民、農家、百姓(4) 百姓ジャパン

 5月のある日、朝日新聞のコラム記事に「なぜ侍なんだ 百姓ジャパンでよくないか」があった。WBC侍ジャパン」のことである。

 「恥ずかしげもなく新聞も連呼している。なぜジャパン=侍なんだ?」と書いた記者は、「わたしは米を収穫し、冬は猟師、サトウキビからラム酒を、たまに新聞記者をしている」アロハシャツにテンガロンハット、サングラス姿で「多事奏論」を書く近藤康太郎氏。天草から発信するこの人の記事は面白くて毎回読む。

 記事にこうある。「だいたい侍に憧れる心性が、自分にはよく分からない。坂本(龍一)さんじゃないが『だって、人を殺す人じゃないですか』。百姓のほうがずっと上等だ。だって、食べ物を作ってるんすよ。人を生かす人だ」


「いまの世界で将来に目を向ければ、食料不足が懸念されている。食べものを取り合って殺し合う地獄絵図さえ杞憂ではない。とりわけ食料自給率の低い日本である。だったら侍ジャパンじゃないだろう。農民だ。めざすは国民皆農」「・・・これは百姓ジャパン宣言である」と締めくくっている。

 近藤氏は「百姓」の意味を良くご存じなのだろう。猟師も「姓(かばね)」の一つであるし、酒などの醸造技術もそうである。この人自身が百姓になり切ろうとしていて痛快である。

 

 もう一人の百姓。山梨県北杜市で農的生活をおくりながら執筆活動する「わたなべあきひこ」さん。著書『自給知足な暮らし方』(八重洲出版)に、溢れんばかりに盛られている物づくり技術がすごい。まさに圧倒される。

 前段の一文を引くと「化石燃料をできるだけ使いたくないとの思いから、そのためのシステムをつくってみたら、不思議なことに時間が生まれたのです。そしてその暮らし方は、石油や電気を売ることで猛烈なお金持ちになった人たちに、これ以上は、貢がなくてもいい暮らし方、と言うこともできます」

 盛りだくさんな技術のあれこれを紹介したいが、それは許されない。知りたい人は買って読んでもらおう。

 この本の副題が「あるいはグローバルな資本主義経済を卒業し、戦争のない平和な社会を取り戻す方法!」。著者の言わんとする本旨はこれだろう。