農と暮らしの技(1) 藁(わら)の話(その一)

 「子どものころ藁の布団に寝ていた」と若い人に言ったら、その人は “藁くずの中に埋もれて寝ていた” のかと想像したみたいで、一緒に笑ってしまった。

 乾草のような藁くずの山を想像したのも無理はないが、そうではない。“ちゃんと” 木綿の袋の中に稲藁クズを詰めた敷き布団の上で寝ていたのだ。学校に上がる前、1960年ころのことである。兄と一緒に寝ていた祖父が亡くなってからは、3歳だった私が兄と一つ布団だった。

 この敷き布団、朝起きると中の藁が片寄ってしまって、背中や尻の下は薄い皮だけだった。起き上がる前に藁の片寄りを直す作業をした。今でいうベッドメイキング。しかもこの寝部屋の床は板張りだった。

 1960年代までは、おそらく日本中で農家のくらしは同じようなものだったと思うが、稲藁はさまざまな生活資材に加工され使われていた。私の生まれた家でも、筵(むしろ)、菰(こも)、草履(ぞうり)、スッペ(雪中ではく草鞋(わらじ))、雪沓(スリッパ型と長靴型があった)、わら縄(草履や筵のたて糸にする細いものから、農作業で使う荒縄、荷車などに使う丈夫な荷縄まで各種)、ツグラ(冬に野菜を雪中貯蔵するもの、炊いたおひつ飯の保温用)などを作って使っていた。

雪ぐつ、草鞋(わらじ)、草履(ぞうり)。草履は習い覚えたが、雪ぐつと草鞋は教わる機会がなかった

 冬に、父が編む筵のよこ糸になる藁を1本ずつ差し込む手伝いをした。竹を薄く削った3尺余の細板の先に、葉を梳き取った稈(かん、稲の茎)をひっかけて、綜絖(そうこう、たて糸を交互に開く)で開いたたて糸の間に素早く通すのである。父は重い綜絖をドスンと下ろす。この繰り返しで、幅3尺、長さ9尺の厚い筵を編むのだ。この筵を2枚横に細縄で縫い合わせると、6尺✖9尺の敷き筵ができる。わが家の地炉(ジロ、囲炉裏)周りは、夏は板の間、冬に筵を敷いていた。筵編み機は今はもう、地方の郷土資料館などに行かないと見られない。ちなみに、梳き取った葉くずが敷き布団の中身になったのだ。

筵(むしろ)編みの綜絖(そうこう)

 少年時代、菰(こも)編みを仕込まれたから、今でもできる。菰編み機は簡単な構造なので、40代のころに自分で作って使っている。たて糸の両端を巻いて錘(おもり)にする菰槌(こもづち)は、実家でかつて使っていた黒光りするものをもらってきて使っている。100年近く経っているらしい。

 菰編みのしくみは、葦簀(よしず)や簾(すだれ)の製法と同じである。編み機の大小と材料の違いだけである。

 現代の稲は倒伏を防ぐために稈が短い。幅3尺の菰は編めないが、伝統技術を継承し、人に紹介することが目的なのでそれでもいいと思っている。稲藁の種々の利用は、かつての日本の農業文化の要ではなかったかと思う。