農と暮らしの技(4) 山の幸を知る、使う(その一)

 農の仕事とくらしは、山林原野とその資源、そのありようと地続きである。山からのさまざまな恩恵なくして農の文化、里のくらしは成り立たなかった。農とくらしにまつわる山の幸について考えてみたいと思う。

 子どものころ、親や年長の子らに導かれて、さまざまな山の幸を知ることができた。ただ、私の農的なくらしが濃密だったのは中学卒業までで、隣県の高校に越境進学し下宿生活になってからはそれができなくなった。その知識と経験は中途半端になってしまったので、ここに綴る内容は、ずっと生家に住み、こうした野山の知識と経験に長けた兄に補ってもらったものだ。

 私の郷里は新潟県南の津南で、長野県と接する県境の町である。信濃川の最上流部、十日町市津南町からなる地域を「越後妻有 (つまり)」と呼ぶ。四方を山に囲まれた「奥深い行き止まりの地」すなわち「どん詰まり」だ。“信濃川” は越後の呼び名で、さらにその上流が信州東南部の川上村まで遡り、川の名は “千曲川” である。千曲川の最下流 (飯山市野沢温泉村、栄村) も長野県側からするとやはり「どん詰まり」で、両方のどん詰まり地域の文化はよく似ていて、あまり違和感がない。環境がほとんど同じだからだろう。

 そんな信越山間の山の幸には何があったか。

 山菜やキノコなど採集食材がその一つ。以前「農漁村に原発は相容れない」に記した粽 (ちまき) を包む笹葉や菅 (すげ) のように、それ自体は食べ物ではないが伝統的なくらしの文化を支える補助資源がその二つ目。山鳥 (やまどり) や野兎、貉 (むじな、穴熊) や熊 (熊肉、熊の胆)、そして鰍 (かじか)、岩魚 (いわな)、鮠 (はや) など食用になった野生動物が三つ目。そして四つ目が薪 (たきぎ) や木炭などエネルギー源である。

 小~中学生のころ、父親に連れられて山菜、キノコ採りに何度も山に行った。その経験が増して高学年になると、子どもたちだけで山菜採り、キノコ採りに行くこともあった。大人たちが求めるのはゼンマイやワラビ、ウド、根曲がりタケノコ、タラの芽、コシアブラ、トリアシショウマ、行者ニンニクなど食卓に載せるための山菜だったが、子どもは山野でそのまま口にできるスカンポ (イタドリ) 、スイバ、秋はアケビ採りに夢中になった。

 家に菓子などほとんど置くことがない時代。子どもたちは、日々の間食を自分で探して採って食べた。ツツジの葉に着いた “もち” (虫こぶ、虫えい) をムシャムシャ食べたり、ススキの若穂に着いた黒い粉「黒穂菌」まで舐めたりした。ちっとも旨いわけではないが「食べられる」と知ることだけで満足だった。