小さな農と未来のことと …… 2024年に希望を(第100話)

 年明け早々大震災のニュースに愕然としたが、その災害の全貌は未だ明らかにならない。4日現在、輪島、珠洲両市では行方不明者数すら分からず、多数の救援要請に応えられていないという。能登半島の突端にある珠洲市は家屋の9割が全壊またはほぼ全壊で、壊滅的な状況だと市長の言。

 元旦の午後4時10分、最大震度7マグニチュード7.6の大地震能登半島先端部で発生した。輪島市の1.2mをはじめ、北海道から九州まで日本海側全域を津波が襲った。テレビ各局の「逃げて!」の連呼に、2011東日本大震災原発事故を思い起こして身が震えた。当時、私自身も東京に向かう列車内で被災して1夜を学校体育館で震えながら過ごし、配られた毛布内で身を接した隣人のパソコン画面で見た大津波に衝撃を受けたことを、まざまざと思い出した。

 余震が続く能登の人々の恐怖、避難している人々の寒さに震える様を想像すると気の毒でならない。早速 救援募金に少額を振り込んだが、今できることはこの程度かと身をもむ。

 震度7を記録した志賀町にある北陸電力志賀原発で、使用済み核燃料貯蔵プールの水があふれ、外部電源を受ける変圧器が壊れて計2万リットルも油が漏れ出るなどして冷却機能が40分間停止した。東京電力柏崎刈羽原発でも核燃料貯蔵プールから水があふれたという。志賀原発柏崎刈羽原発とも2011年から運転停止中であるが、経団連や政府は運転再開に前のめりだ。

 激甚被害の只中にある珠洲市でも過去に原発の誘致が進められたことがあり、もしも原発が動いていたらと想像するとゾッとする。市民の粘り強い反対運動で原発設置を許さなかったことが幸いであり、市民たちの活動を称えたい。

 停止中の原発で大事故が発生しないで済んだことは不幸中の幸いである。地震大国の日本で原発を動かすことの無謀さを、またあらためて認識する事態でもあった。大電力各社の原発は送電システムで優先的に扱われ、再エネによって得た電力の送電を抑制することがあるという。原発は、再エネ電力を使いたい市民の願いに背く存在でもあるのだ。

 家屋の下敷きになり、火災に家を焼かれ、道路寸断で救援と物資補給を絶たれ、寒さに震えながら今後を悲観する能登の人たちに、何としても早く助けの手が届くことを祈るばかりである。

 翌2日には羽田空港で航空機2機の衝突事故があり、震災への支援物資を運ぶ海上保安庁の航空機乗員5名が死亡した。相次ぐ事故は2024年の先行きを暗示するのだろうか。いや、そうであってはならない。希望の年にするために、1市民としてできることは限られるが、それを尽くさねばと思う。