この国のかたち(8) もうかる農業?(その二)

 もうかるとか、もうからないとか、その境界線や基準はどこにあるのだろう。こういう言葉使いをする人たちは、その基準をきちんと意識しているのか。自覚があるのかどうか疑わしい。

 昔にも、儲け話が好きな農民はいたようだ。田畑をかたに投資して一獲千金をねらう者を山師と呼んだ。それが当たって一財産を築く者もいただろうが、一方で身代を失って貧に陥る者がいた。そんな “つぶれ百姓” の例を身近に聞いたことがある。そんな儲け話は農業と無縁の別の業種に「手を出す」ことだった。だが、そうした山師は少数派で、当たっても失敗しても、いずれも周囲からは冷ややかな目で見られたにちがいない。大多数の農民は日々の農作業に黙々と精出すまじめな人々だった。

 古来、農業の世界で “もうかる” 事例などあったためしはない。農業、林業、漁業は衣食住の「材料を提供する」仕事である。農民一人がこうした仕事で生み出す「衣食住の材料」の量には限界がある。その限界を超す労働対価は得られないのだから、農で大きくもうけることはできないのだ。最新科学の成果を使う場合でもそのコストが必要になるのだから、やはり所得には限界がある。

 “もうかる” とか “もうける” の語を使うことは、その業種内に好ましくない競争や対立を生むかもしれない。もうかる経営を奨励し称賛する行為は、強者と弱者の対立、あるいは「もうけなくてよい、生計を維持できればよい」とする生業主義との対立をクローズアップさせる。そんな両者の間に共感、協調の想いなど生まれないだろう。一方は他方を蔑み、頑張ってももうからない農民は前者を妬むあるいは憎むかもしれない。古くからの協力関係は壊れてしまう。

 かつて大原幽学や二宮尊徳は、つぶれ百姓が生まれるような状況を哀しみ、農民同士がいがみ合うようなことのない農村であってほしい、協力協調し合って共に豊かになる農村を築こうと「協同組合」のしくみを生み出した。「協」は力を寄せ合い助け合うことを意味する。地域内での競争を排し、共同行動と相互扶助こそが農村社会にふさわしい。当時も今もまったく変わらないはずである。

 勝手に私淑している先﨑千尋さんから度々レポートが届く。『農協がなくなってしまった!(NEWSつくば・コラム《邑から日本を見る》11/13)』で、「私が住んでいる常陸農協瓜連支店が店を閉じ、…… この地区から農協がなくなってしまった、と思った」「必要でないものはこの世から消え去る運命なのだと頭で分かっていても、やはり寂しい」と綴られた。

 農民が分断されて協同の力が衰えたのは、「もうかる農業を」などの不見識で無責任な煽動の結果ではないか。国や自治体など行政がその張本人だと思う。

農協がなくなってしまった!《邑から日本を見る》147 | NEWSつくば (newstsukuba.jp)