小さな農と未来のことと …… 便利とは何か

 これが50話目になる。

 6月21日に書き始めて、これまで3カ月余。だいたい2日に1話のペースで書き進めてきたが、この後もまだまだ書きたいことはたくさんある。自然環境と共生・調和できる有機農業の技術のこと、衰退する日本農業と後継者難への対策のこと、50~60年前の農家のくらしのこと、等々である。

 国や都道府県が進めようとしている「もうかる農業」政策に、そもそものところで不信がある。自分たちの未来がかかる「若い人々が求める農とそのくらし、自給ということ」に焦点をあてて、農と食のあるべき姿を解き明かしてみたい。そのために、ちょっと昔、昭和の時代に自ら経験した農村、地に足のついた農の技(わざ)について再現してみようと思う。これからの農と農村のあり方のヒントになりはしないかと、そう思うのだ。

 9月25日の朝日「天声人語」に、こんな素朴な疑問が書き込まれた。

――科学の進歩でドラえもんの道具に近いものが次々と現実になりつつある時代、便利の意味がよく分からなくなってきた……。何でもスマホで手続きするのが、本当に便利なのか。そもそも便利って何なの? ……スマホも家電も車も、頻繁に買い替えを迫られる。もう十分だと思ってしまう ……変わる大切さとともに、昨日と同じように今日があることの尊さをかみしめる。私たちはもう立ち止まれないのか ――

 私がずっと抱いてきた疑問を、天声人語の書き手が率直に述べてくれたことが嬉しい。――人は便利な道具だけでは幸せになれない ―― 同じ思いの人が、きっとたくさんいるのだと思う。

 農と農村社会の衰退も、そのことを如実に示している。トラクターやコンバイン、プラスチックハウス、ドローンや除草ロボットなど「便利な道具?」が次々と登場しても、「それを買える金はない」「農業では食えない」とやめていく農家がこんなに多いではないか。根っこのところで命題の立て方が間違っている。

 国は、基本法農政60年間の失敗を検証も反省もせず、「生産性の高い経営体の育成」だとか、「輸出産業への転換」「スマート農業の推進」などと、まるで筋違いな政策にしがみついている。こうした姿勢を転換させるにはどうしたらいいか。日本人全体の問題意識の醸成が必要だと思う。

 子どもや孫、ひ孫の世代が安心して食べられる社会にするために、人々の幸せとは何か、経済ではなく哲学、積み上げてきた人類の叡知にもとづいて30年後の安定を作り出す、そういう政治が必要だと思う。賢人に学ぶ社会のあり方が必要なんだろうと、そう思う。