徒然に(4) 紙の本がいい(その一)

 もうだいぶ前からだが、妻からくり返し小言を言われている。寝室に散らかっている無数の本を “片付けてくれ”というのである。今秋こそは、と思う。

 私の癖だが、面白いと思った本は何度も読み返してしまうので、カバーは外れ、表紙は反り返ってくたくたになる。そのほとんどは文庫版の小説。眠る前の10~20分、眠気を催すまで寝床で読む至福の時間がたまらない。

 60代になってはまっているのが藤沢周平の時代小説。昨日からは「霧の果て、神谷玄次郎捕物控」、一昨日までは「三屋清左衛門残日録」、その前は「獄医立花登手控え(全4巻)」だった。いずれも数回以上読み返している。小遣いも限られているし、私のこの読書癖はローコストである。

 藤沢周平の、精緻で品格のある文体がたまらなく好もしい。登場人物や四季折々の風景の描写がとても魅力的で想像力を刺激し、物語を味わい深くする。江戸の市井の人々を描く作品群とともに、作者の郷里山庄内地方を舞台にした作品の数々が藤沢小説の醍醐味である。雪国のしっとりとした人々の心情、口にする言葉にとても惹かれる。「三屋清左衛門残日録」も庄内。藩主交代を潮に用人役を辞し、家を惣領に渡して隠居した50代の清左衛門の話。

――しかし、嫁にはそう言ったものの、その夜の酒は清左衛門もうまかった。酒もさることながら、ほどのよい夜の寒さと酒の肴のせいでもあっただろう。……「赤蕪もうまいが、この茗荷もうまいな」と町奉行の佐伯が言った。佐伯の髪の毛が、いつの間にかかなり白くなっている。町奉行という職は心労が多いのだろう。白髪が増え、酔いに顔を染めている佐伯熊太を見ているうちに、清左衛門は酒がうまいわけがもうひとつあったことに気づく。気のおけない古い友人と飲む酒ほど、うまいものはない。「今夜の酒はうまい」清左衛門が言うと、佐伯は湯上げはたはたにのばしていた箸を置いて、不器用に銚子をつかむと清左衛門に酒をついだ。・・・清左衛門が気に入って通う小料理屋の名が “涌井” 。6~7年前に熊谷から帰る列車の中で初めて読んだとき、思わずにやけた。

――つと清左衛門は路地に引き返した。胸が波打っていた。清左衛門は後ろを振りむかずに、いそいでその場をはなれた。胸が波打っているのは、平八の姿に鞭打たれた気がしたからだろう。――そうか、平八。いよいよ歩く修練をはじめたか、と清左衛門は思った。人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽して生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた ……

 壮から老への身体と心の変容を、自分に重ね合わせてしみじみとする。