徒然に(7) 老化、身体障がいのこと

 近々古希を迎える。健康保険証も高齢者用に更新され窓口2割負担になるし、運転免許証更新のため昨年末に高齢者講習を受けてきた。老人扱いされるのは仕方がないと自覚するのは、この身体に否応なく老いを感じるからでもある。

 その一つが聴力の低下である。事実は、低下どころか聴力の損壊であり身体障害 (障碍?) レベルのようである。5年くらい前から聞こえづらくなってきて、3年前に補聴器を購入した。家族に勧められたからである。その後しばらくは補聴器の助けで日常を特に難なく過ごせたのだが、昨秋くらいから補聴器を着けても会話が難しくなった。音としては機器が増幅してくれるので耳に届くのだが、会話の内容を聞き取れなのだ。聴覚障害はさらに進む気配である。

 人の話声が「ギャギャ、ギャ」のような機械音のような響きで、それは男女区別なく一人ひとりの音声差もよく分らなくなってきた。特に室内での会話が困難で、レストランや商店内など騒めきやBGMなどが混じると、補聴器を着けていても目の前数十センチの人の声が聞き取れない。居酒屋にはもう行けない。

加齢性難聴は治らない障害だという。残念だが受け入れざるを得ない。右下の充電式補聴器は私の日々のくらしに欠かせないが、その効果には限界がある。

 買い物のレジで店員のイラつく様子がよく分かる。顔を近づけて何度も聞き返すからだ。電話はほぼ不可能になってきた。屋外で、鳥の声やノラ猫の鳴き声にしょっちゅう振り向くようになった。人の声と区別できなくなったのだ。

 身体障害者等級表で、私はそれに該当するのか調べてみた。聴覚障害は2、3、4級と6級があり、6級が一番軽い。等級表によると6級は「両耳の聴力レベルが70デシベル以上のもの (40cm以上の距離で発声された会話を理解しえないもの)」とある。私は補聴器なしだと、妻に顔を5~60cmくらいに近づけてもらわないと会話が成立しなくなったから、そろそろ6級に近づいていると考えてよさそうだ。さらに聴力低下が進めば障害者手帳の申請になるのか。

 能登半島地震の避難者が気になってしょうがない。高齢者や障害者の避難先での苦労を身に染みて感じるからだ。気の毒でならない。私の補聴器は充電式である。電気が来なければ使えなくなる。自分事として考えてしまうのだ。

 娘に「手話を習ったら」と勧められた。考え始めている。家族もともに習わないと私だけ習っても意味ないのでは、と思ったが、いや手話を身に付ける意義はほかにもありそうだ。障害のことを深く理解する意義が。

 途切れることなく耳鳴りがしている。キーンとゴォーの2種類である。耳鳴りで深刻な “うつ” になる人もいるという。私の耳鳴り音は大きくなる一方だが普段は忘れているし、特に気にしていない。これを気にせずに済んでいることは幸いと思う。妻との距離もおかげでずいぶん近くなったし……。