徒然に(9) 「核」雑感

▶ 70年前の今日3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁で米国が行った水爆実験によって、静岡県のマグロ漁船第五福竜丸被爆した。死の灰を浴びた漁船員の久保山愛吉さんが3人の愛娘を残して40歳の生涯を閉じたことは、3度目の核被爆者と呼ばれた。私が生まれたひと月後のことであり、年齢を重ねるたびにビキニの言葉が胸に突き刺さる。

  仏人デザイナーが女性の水着にビキニと名付けたのは、ビキニ核実験によるという。「なんとも無神経な話」(3/1「天声人語) だ。以前からこの名が気になっていたのだが、やはり関係していたのだ。知らないといけない事実である。

 米国がビキニ環礁で核実験を行ったのは、1946年から58年まで67回。1954年に第5福竜丸が被爆したのは、なんと「水爆ブラボー」。ふざけた名である。この間に被爆したのは第五福竜丸だけではない。多くの日本漁船が死の灰を浴びたとされるが、正確な調査はされていない。何より大きな被害を被ったのはマーシャル諸島の人々だ。「病気や障害を負っただけじゃない。土地を、文化を失った」(3/1 朝日「ひと」欄) 。

 毎年3月1日前後には反核・平和の集会が開かれている。3.1ビキニデーは反核平和運動の原点とされている。この運動が核兵器禁止条約につながったのだが、日本はまだ署名していない。核兵器被爆国として禁止条約に参加しないことは道理にもとる。政府の姿勢が問われる。

▶ 小説「チェルノブイリ」(1989、フレデリック・ポール/山本楡美子訳、講談社文庫) を、20数年ぶりに再読している。本屋の棚で見つけたのは、1986年4月のチェルノブイリ原発事故から数年後のことだったように思う。原発事故の実像を知りたくて読んだのだった。

講談社文庫「チェルノブイリ」は、今も市販されている。

 これは小説であり人物名等は創作であるが、事故の原因や経過、事故後の消火活動や周辺住民の避難の顛末、放射能汚染の拡散を防ごうとした関係者の動きなどは、ほぼ事実どおりに描かれているという。当時のソ連の国柄や風物が、米国人作家らしい多少の偏見も相まって描写され、ソ連政治の背景のもと起こるべくして起こった原発事故だったと分かる。

 チェルノブイリウクライナの首都キエフ (キーウ) にごく近い。事故によって巻き上げられた放射性物質は、その後全ヨーロッパに飛散したが、主に被爆したのはウクライナとその北に位置するベラルーシの住民だった。「ホットゾーン」と呼ばれる高濃度汚染地域である。

 手元に「チェルノブイリ・ハート」(2011、マリアン・デレオ、合同出版) という写真誌がある。アカデミー賞を受賞した短編ドキュメンタリーのガイド本である。これによると、死者は4,000人から985,000人と推計値に大きな幅がある。実態は隠された部分もあり、未だ正確に調査されていないのだ。死者だけではない。その後に生まれた子供も含めて、ガンをはじめ放射能によるさまざまな病気、あるいは身体障害に「今も」苦しむ数え切れない多くの人々がいる。

 3.1ビキニデーは、広島8.6、長崎8.9、チェルノブイリ4.26、福島3.11とともに、核のもたらす脅威を常に確認し合う日でありたい。