有機農家を育てる(3) 研修農場を起ち上げる(その一)

 今から四半世紀も前の1999年のことである。鯉淵学園農業栄養専門学校の農業科に、新科目「有機農法論」を開講した。有機農業の技術を課題にした6カ月15回30時間の科目だったが、教材に困った。テキストにできる本がどこにもなかったのだ。

 開講前から分かっていたことだったので、授業は大量の配布資料を作って行った。2年後、この配布資料を基にしてテキスト作りに着手した。原稿を書き、作図し、撮りためた写真を整理し、足かけ6年をかけて刊行したのが『解説日本の有機農法―土作りから病害虫回避、有畜複合農業まで』2008、B5版319p(筑波書房)である。稲作の部分は栃木県野木町有機稲作農家舘野廣幸さんが執筆してくれた。

 この本の巻頭言「はじめに・有機農業を志す人へ」には舘野さんの思いが詰まっていて魅力的である。日本でおそらく初めての有機農業テキストであることもそうだが、舘野さんと組んで作ったことが誇りである。

 その当時、学生への有機農業指導と同時に、週末には社会人向けの「有機栽培研修」も行なっていた。年齢性別を超えてさまざまな人が受講し、熱心な就農希望者がたくさんいて、就農に向けた相談を受けることしばしばだったが、学校教員の立場ではできることに限界があった。このモヤモヤをどうしようかと、当時ずいぶん悩んだものだ。

 

 2010年秋、恐る恐る妻に相談を持ちかけたのが、学校を退職して自ら農家になり、自分の農園で有機農業者を育てる「研修農場」起ち上げのことだった。当然といえば当然だが、妻は大反対。「食べていけるのか?」という率直な反論だった。当時56歳、65歳まで働ける職場を自ら去ろうというのだから、学校長も「ここで働け」と慰留。家族と職場にはできるだけ丁寧に意思と計画を説明し、何とか認めてもらった。2011年4月の就農直前に東日本大震災があり、福島第一原発の爆発事故があった。その後の顛末は「農漁村に原発は相容れない(その一)」に概略を記してある。

 原発事故に足をすくわれたものの、その後、何とか踏ん張って研修農場を軌道に乗せ、2023年3月までの12年間に20人余の就農者を送り出すことができた。紆余曲折はあったものの、充実した研修農場を続けてこられたのは、鯉淵学園時代の「有機栽培研修」受講者の人々など、多くの友人知人が支えてくれたからだった。また、管轄の農業改良普及センター担当者の理解ある支援もとてもありがたかった。……(その二)につづく

※ 舘野廣幸「有機農業みんなの疑問」2007、A5版95p(筑波書房) が名著です。