徒然に(5) 賢人に学ぶ(二)

 切り口は異なるが、賢人に学ぶもう一つの方法。過去に著わされた「未来を描いたSF小説や漫画」などから、人類の叡智と愚かさの両面を学ぶ方法である。

 例えば、アイザック・アシモフの『鋼鉄都市(1954刊)。ロボット工学三原則に縛られたロボットに殺人が犯せるかというミステリSFだが、人類の科学的進歩の裏側に生まれた負の創造物と、人間の成長の限界を現わしていて面白い。69年前、私が生まれた年に刊行された本である。

 地球人口80億に達した数千年後の未来、人々は閉鎖空間の過密都市で暮らす。私が注目したのは、地球の自然が完全に破壊され、食料はロボット頼みの水耕栽培イースト菌醸造工場産。そんな食料生産が可能かどうかはともかくとして、気候危機と種の絶滅が進む今の地球の暗示だったかに見えるディストピアとして読む格好の題材である。

 アシモフが考案したロボット工学三原則は、その後のロボット開発、人工知能AIの研究に欠かせないものとなった。

(1)ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

(2)ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第1条に反する場合はこの限りではない。

(3)ロボットは、第1条および第2条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。

 フランケンシュタイン・コンプレックスに対応する原則だが、アシモフはその後、作品中にこの三原則が適用されないロボットを生み出す。現代のロボット掃除機などがそうだ。

 ただ、現状の生成AI開発などを見るにつけ不安はいや増す。三原則を超えた問題が顕在化してきたのだ。原子力と同様に使いこなせない技術の登場ではないか、無自覚のうちにAIに支配され、人類の退化が進むのではないかという不安である。

 ハイテクノロジーには必然的にハイタッチが生まれ平衡する、科学を信頼せよと言われる。ただ、科学も全能ではなく、科学者すべてを信頼できるものでもない。AIの先鋭化は、科学者でさえこれをコントロールできない時代の到来を想わせる。われわれ市民が賢くなることだけが人類を守り、地球の未来を守る最良の方法だろうか。