期待される農へ(1) 農業協同組合(その一)

 農家生まれの小せがれは、農業協同組合(農協)なくしては人並みの教育を受けられなかった。農協様様だった。農産物の販売はすべて農協頼み、売り上げは農協の口座に預け、生産用の資材だけでなく生活用品まで共同購入ができて、ほぼすべて口座引き落としで決済できた。残高マイナスでもとりあえず次年度の農業生産になんの支障もなかった。

 1960年代、私の小学生時代には耕運機が入り、テレビ、ガス炊飯器、電気洗濯機、風呂の灯油ボイラー、そしてトラック導入へと進み、電気代、燃料代などと併せ現金支出がうなぎ上りに増えていった。世間は高度経済成長期に突入し、農家のくらしも勤労者世帯に追い付け追い越せと夢がふくらむ時代で、その夢を叶えてくれそうな仕掛けが農協だったのだ。誰の目にもそう見えた。そして「ある程度までは」、確かにそれを現実にしてくれた。農協なくして日本農業は成立しなかった。

 その農協は、いまやかなり様相を変えてしまった。一番大きな変化は、農協を「JA」と呼称するようになったことだろう。茨城の瓜連町長、ひたちなか農協専務などを務め、『農協に明日はあるか』(2006、日本経済評論社)などの著作がある先﨑千尋さんは、常日頃「JAとは呼びたくない。農協と呼ぶべきだ」と言っている。まったく同感である。

 農協をJAと呼ぶようになってから、農協の本質、使命が忘れ去られて空中分解しそうになっている、と思う。「協同組合」の意味が世間にまったく伝わらなくなった。農外の人々、特に若い人たちにほとんど理解されていない。「会社の形の一つなのかと思った」と言われて愕然とする。さもあらん、農協(ノーキョー)の発音だって、関係ない人には何のことか分からないだろう。省略しないで「農業協同組合」と正しく言葉にすべきなのだ。

 協同組合とは何か。それは、農業・農村のためだけにあるのではない。漁業協同組合があり、生活協同組合があり、各種事業者団体としての協同組合がたくさんあるという(例えば「日本スポーツ用品協同組合」「協同組合日本イラストレーション協会」等々)。さまざまな協同組合があり、世界中でその意義は確かめられ、成立し、人々はその恩恵を受けている。国際協同組合同盟(ICA)には、112カ国318の協同組合が加盟しており、その組合員総数は10億人だという(2022年)。

 日本人の多くも何らかの形で協同組合に関わりを持ち、なにがしかの恩恵にあずかっている。協同組合の意義を学ぶ機会がもっと多くあっていいのではないか。