【運命共同体社会】農漁村に原発は相容れない(その三)

 原発事故で失ったものの一つに、農の技術のことがある。

 放射性物質は東北地方南部から関東各地の山林にも降り注いだ。林床の腐葉土表層が高濃度の放射性物質に汚染され、ここに育つ林木がこれを吸い上げてしまったため、林床の腐葉土とともに、2011年秋以降の落ち葉にもセシウムが溜まってしまった。

 

 日本各地で、昔から農家は腐葉土を作ってさまざまに使いこなしてきた。晩秋から1~2月のころにかけて里山の落ち葉をかき集める。楢(なら)や椚(くぬぎ)、欅(けやき)、椎(しい)、山栗などの落ち葉である。沿海部では松葉も使われた。

 持ち山であればそのまま林床に堆積して1~2年置くと下部が良質の腐葉土になっている。そうでなければ集めてすぐに持ち帰り、母屋の近くに大山に堆積し、数回の切り返しで1年半もすると適度に熟した腐葉土が得られる。

 こうして時間をかけて作った腐葉土は、稲や野菜の育苗用土として、あるいはミョウガ畑の被覆有機物などとしてとても便利に使われてきたのだが、放射能汚染で「使うな」と規制されてしまった。伝統的ですばらしい農の技(わざ)が、このために廃れ、あるいは失われるはめになった。

 この罪の重さ、事故を起こした側に自覚があるだろうか。

 こうした技術を使ってきた農家にとって、どれほど大きな衝撃であったか。その多大な価値を、事実を知らない人々にもぜひ知らしめたい。

 集めた落ち葉は、家畜糞や青草、米ぬかなどと混和され「踏み込み温床(醸熱床)」として、早春の育苗にも使われてきた。温床内で発酵を始めた落ち葉は初夏以降に屋外に持ち出されて堆積し、その1年後には腐葉土になった。

 原発事故はこの温床技術にも暗い影を落とした。昭和の時代まではごく一般的な農の伝統技術だったが、電熱温床の普及で廃れつつあった。ごく少数の有機農家などが守り伝えてきていたが、3.11放射能汚染がさらに大打撃を加えたのだ。農の伝統技術を破滅に追い込もうとした原発事故。私の認識の一つである。

 

 ちなみに雪国では落ち葉は使えない。落葉直後に雪に閉ざされるからである。雪国で育った私は、稲わらを使う踏み込み温床作りを手伝うことでその技術を身につけた。3月上旬、庭先にまだ1メートル以上ある雪をどけて作っていた。この少年時代の経験を大いに多としている。

 

踏み込み温床の作り方


幸いなことに、放射能汚染を乗り越えて、踏み込み温床技術は新規参入の若い有機農家が受け継いでくれている。さらに次代にも繋いでほしいと念願する。

 

 この「踏み込み温床」技術、腐葉土作りとその使い方などは、別項で詳しく紹介する予定である。お待ちいただきたい。