有機農産物に付加価値はありません(1)

 有機農業に関わるようになって、まもなく30年。

 30年前は、農協や行政関係者から「有機」の単語はほとんど、いやまったく聞くことはなかった。30年後の今、県職員や農協の人が「付加価値のある有機農産物を」などと連呼するさまを見て、隔世を感じるとともに危うさを覚える。故あって求められている有機農業の本質を知らず、その自覚がなく、上っ面だけの推進姿勢なのだ。ブームに乗っかっただけの姿勢はミスリードを生む。

 残念ながら多くの農業指導関係者が「有機農産物には付加価値があるから高値で売れる」などと軽薄にいう。しばらく前まで多くの自治体で、(有機農産物を含む)環境保全型農産物で「ブランド化」などと、経済効果をうたう道具にされてきたが、ようやくここ2~3年「SDGs」の表現に置き換わってきた。にもかかわらず、いまだに付加価値農産物の認識から抜け出せないでいる。

 有機農産物に付加価値などない。

 有機農産物が、いまだ大勢を占める慣行農産物より若干高値で売り買いされるのは、①有機農家が生産原価から積み上げた適正価格を提示、②需要量にたいして(国産有機農産物の)供給量が追いつかないための市場原理、③環境保全や健康への貢献に市民が評価、がその理由である。③が「付加価値に相当するではないか」という人もいるが、私の認識は違う。

 そもそも、ベースとすべき農産食品を慣行農産物に置くから間違うのだ。慣行農産物は、化成肥料や化学合成農薬という余計なものを使ったために、「本来の農産物」の価値を貶めてしまったと考えるべきだろう。化成肥料の多用が地下水や河川を汚染し、農薬が生物多様性を損ない人の健康被害を生んできたのであるから、「慣行農産物は適正な価格を提示できないマイナス価値」のしろものなのだ。有機農産物は「本来のありのままの農産物」であって、ただ普通の米、ただ普通のキャベツなのだと考えるべきである。

 有機農産物に付加価値があるなどと、商業主義の路線で語る弊害は大きい。付加価値評価は適正価格を大きく超す「プレミア商品」も生み出してしまい、そうなると一般市民の手が届きにくくなる。本末転倒である。

 

 有機農業を「オルタナティブ(もうひとつの)」農業などと呼ぶことがあるが、これも首肯できない。こういう言い方をするのは、ほとんどが非有機農業関係者であった。ベースを慣行農産物に置いた認識ゆえである。

 有機農業こそ、人類が長年にわたって行ってきた「本来の農業」を受け継ぐ存在であり、有機農産物が本来農産物なのだ。

            旬の有機野菜

原発のことは、その四、その五と続きがあります)